導かれて、ロ短調ミサ
ブリュッヘンと新日本フィルのバッハ「ミサ曲ロ短調」を聴き終えて、帰ってきたところ。
この、「あらゆる時代、あらゆる人々のための最も偉大な音楽芸術」(プログラムノートより)を、ちゃんと通して聴いたのは実ははじめてのことで、偉そうなことは言えるもんじゃない。
ただ、比類なく貴重で稀有な2時間を過ごしたという、実感だけはある。
「自分が」この音楽を聴きたくて行ったのではなくて、何かに導かれてそこに在ったのだと、終わった今となっては確信している。
今日の演奏の実現に関わったすべての人に、御礼を言います。
そして、何よりもブリュッヘンさんに。ありがとうございました。
貴方のリコーダーを聴いてびっくりして、無心に真似をした十代の時から、今日のこの時間は約束されていたように思っています。
…
以下は、当ブログの読者の多くを占めるはずのサクソフォン関係者のための、蛇足。
私にとって、この作品を知るきっかけとなったのは、今は亡き、サクソフォンアンサンブルの会の圓田勇一先生との会話だった。
もう30年近く前になるけれど、圓田先生とかなり長いこと喋っていたときにたまたまバッハの話になり、私が、バッハの最高傑作って何でしょうね?と言ったら、圓田先生すかさず、
「そりゃ、『ロ短調ミサ』に決まってるだろ、」と一言。
そんなの常識だろ、と言わんばかりのいつもの調子だったけれど、そのときの私は、この作品を知らなかった。
圓田先生という人は、サクソフォンの演奏家・指導者としての該博で広範な知識の前提として、そういう「常識」をきちんと押さえられていた方で、そんな先生のありように、若い頃の私はずいぶん影響を受けたもんです。
マニアックな知識を持つサックス吹きはたくさんいるけれど、その知識を運用する上で、「常識」(音楽上のこと、そうでないことに関わらず)というものを正しく判断の前提にできる人というのは、今でも決して多くないと思う。
圓田先生にやっとひとつ借りを返すことができたような気がしているけれど、残念ながら先生はもういない。
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