オーティス・マーフィー マスタークラス&ミニコンサート(アーティストサロンDolce)
・マスタークラス
深沢智美
P.M.デュボワ/協奏曲より 第1、2楽章
坂口大介
C.フランク/ヴァイオリンソナタより 第1、4楽章
佐藤渉(通訳)
・ミニコンサート
A.パスクッリ(ケネス・チェ編)/蜜蜂
S.ラフマニノフ(マーフィー編)/ヴォカリーズ
J.S.バッハ/チェロ組曲第1番より プレリュード、クーラント、ジーグ
A.デザンクロ/プレリュード、カデンツァとフィナーレ
A.ハチャトゥリアン(ボーンカンプ編)/剣の舞
ハルコ・マーフィー(Pf)
17日のコンチェルトに続いて、今日は新宿のドルチェ楽器にて、オーティス・マーフィー氏のマスタークラスを聴く。
キャパ100人ほどの小スペース(ほぼ満席)の2列めに陣取って、目の前1.5メートルほどの音を浴びることになった。
マーフィー氏の深みある音色、そしてその人間性がそのまま音になったような(彼のことを直接に知る人は皆、異口同音に「あんなにいい奴はいない」、と言うのだが、まさに)素晴らしい音楽性を、存分に楽しんだ。
「音」がとにかく、美しいのですよ。なめらかで、ストレスがない。美しい、というより、聴いていて快感だ。
フランクの冒頭(ソロの冒頭2番めの音符)に出てくる第4線レ#の音を、オクターヴキーを使わない、サイドキーによる指でデモンストレーションしていたけれど、溜息が出るほど見事で曲想に合っている上に、前後のシの音との繋がりに何の違和感もない。
低音のコンパクトさといい、決して「金切り声」にならずに輝きだけが増して上がっていく高音といい、円錐管であるというサクソフォンという楽器のハンデをまるで感じさせないほどだ。
基本的に、上ずらない、落ち着いたピッチを狙うところは、やはりアメリカの流儀か。
両方の受講生ともにそうだったが、最初はマーフィー氏が吹いてみせるお手本の音との違いにびっくりしたものだったが、時間が経つにつれてだんだん似てくるのが感じられる。
振り返ってみると、私自身、普段いかに無神経でうるさい(均一のとれていない)音を、そうと気付かずに無批判に吹いたり聴いたりしてしまっていることか、と思えて、ちょっと反省。
デュボワでの言及内容は、冒頭の無伴奏のカデンツァ部分(バッハがよく用いるスタイル、と言っていた)で現れる、後の楽章で使われる素材の指摘、16分休符の長さを「句点」「読点」のように使い分けてフレーズに意味を持たせること、ピアノとともにアッチェランドを設定すること、「導音」の重要性、2楽章はサティ「ジムノペディ」やラヴェルのピアノ協奏曲のアダージョを引き合いに出して、アップビートとダウンビートの繰り返しによる立体的なフレージング、など。
フランクでは、曲自体に対するあまり深い言及はなかったものの(この曲のサクソフォン・ヴァージョンは初めて聴いたとの由)、曲想の繊細さや音楽のバックグラウンドの理解に対する要求、最低音や最高音域のピッチをはじめとする基礎的な奏法に対するチェックは、かなりに容赦ないものがあった。
低音域のサブトーンの練習法(リードの奥に舌を触れたまま発音する、という練習法は、初耳。へぇそんなこと出来るんだ)や、高音域での柔軟性を増す練習など、いくつかの興味深いアプローチの仕方があった。
ミニコンサートは、ハルコ夫人のピアノによる、素敵なひととき。
冒頭のThe Beeという曲、原曲はオーボエだそうだが、5分ほどの演奏時間をほぼ全く休み無しにエンエンと16分音符が続くという、循環呼吸のデモンストレーションみたいな曲だった。スゲェ…
バッハでも気付かれぬように循環呼吸を使って、不自然さのないフレージングを作っていたのはさすが。音域によって音色が暴れることがないので、実に心地よく聴くことができる。
デザンクロは、意外にもhotな演奏だった。
以上、実に貴重な経験で貴重な時間というか、100人くらいのお客さんで聴くのが本当に勿体ないような催しではあった。
かといって、あまりに大きな会場ではこの人の真の美点は伝わりづらいようにも思えるし、悩ましいですなあ。
さて、オレも頑張らないと。