大川信一郎君の訃報
大川信一郎君が亡くなった。
享年50。
今月はじめに、入院しているという話を聞いて(ここのところ入退院を繰り返していたとのことだったが、今回はかなりシビアだ、という話だった)、お見舞に行かなきゃ、と思っていたけれど、間に合わなかった。
ごめんよ…
悔やんでももう遅い。
6月1日は仕事を半日休して、総武本線の電車で八日市場まで足をのばし、通夜に参列してきた。
盛会だった。
いつも都内の演奏会場で顔を合わすような、たくさんのサックス関係者の面々にお会いする。
会葬御礼で戴いたCD。
プレイヤー時代の貴重な記録だ。
こういうものが残っていてよかった。
彼がプレイヤーとしてどれほど凄かったか、リアルに知っている人間もいまや少なくなったから。
出会ったのは1986年の夏、長野の車山高原で催された、いまや伝説となったセルマーのサクソフォンキャンプでだった。
彼はたしかまだ受験生だったし、私だって24とか、そんなもんだった。もう30年以上になる。
その後彼は桐朋学園大学に入り、ダントツの成績で卒業し、フランスへ行きそちらの音楽院も首席で卒業し、当地の音楽院でサクソフォンの講師も務める等、国内外で縦横に活躍された。
帰国してからはN貿易の社員となって、演奏家としての姿を見ることは少なくなってしまったが、でもそれは彼にとって、人と人、人と音楽とを理想的なかたちで結びつけるという、彼にしかできないすばらしい仕事だったと思う。
そんなわけで演奏会場などでは最近までよく会ったものだけれど、一緒につるんで遊んでいるような、そういう「友達」ではなかったので、一緒に飯を食ったり語り合ったりした記憶はそれほど多くない。
しかし間違いなく、同じ時代を共にし、同じ理想を追った、そういう意味での「友人」だった。
80年代から90年代にかけて私は毎年のように、セルマーやヤマハの夏のキャンプに参加したが、そこで知り合ったたくさんの人たち(プロ、アマチュア、音大生、講師の先生)は、友人知人という以上に、あれから現在に至る自分自身の一部のような気がしている。
自分の身体の一部をもぎ取られたような感じだ。
どうしたらいいのか、何を言ったらいいのか、わからない。
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