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2014.05.18

ミーハ・ロギーナ(Sax)

チラシ画像ミーハ・ロギーナ サクソフォンコンサート(ノナカ・アンナホール)

ミヨー/スカラムーシュ
デザンクロ/プレリュード、カデンツとフィナーレ
ガーシュウィン(デュオ・カリプソ編)/3つの前奏曲
ストラヴィンスキー(サミュエル・ドシュキン編)/「火の鳥」より スケルツォ(黄金のリンゴと戯れる王女)
ピアソラ/タンゴの歴史
吉松隆/ファジーバード・ソナタ
 李早恵(Pf)

15日(木)。
スロヴェニアの若き名手、ミーハ・ロギーナのリサイタル。

いやはや、とてつもなかった。
あまりに凄すぎて、笑うしかなかった。
あまりにも破格なものを目の前にすると、人は感心するより先に笑ってしまう、という典型。

生意気言わせてください。
サクソフォンによる演奏が、他の楽器、例えばヴァイオリンやピアノの一流の演奏と比べて何か物足りない、という現象があるとしたら(いや、実際、あるんですけど)、その原因について考えるに、
・「揺るぎないソステヌート」というものの欠如
・音のスタートのし方と切り方に関するニュアンスの不足
という、世のサクソフォン奏者にありがちな事情があると私は考えているんだけれど(例えばピアノという楽器は減衰音の楽器だと思っている人がほとんどだと思うが、名人の手にかかれば下手な管楽器より余程ソステヌートのニュアンスを出すことに長けると思う)、ミーハの演奏はただ上手い、というだけにとどまらず、その見地からして「模範回答」なんです。
どんなに指が速く動いたって舌が速く回ったってフラジオがばしばし当たったって、それだけでは何の意味もないが、
それが正しい音楽的趣味の再現に貢献したときこそ、無敵の強さを発揮する。
ミーハの演奏はそのような水準にある。

チラシにあった世界初演曲は演奏されなかった。
メインの「ファジーバード」は、ヨーロッパの人がこの曲を演奏する時に共通する雰囲気がやはりあって、興味深かった(あまりにも流麗な1楽章が、まるでラヴェルか誰かのように聞こえた)。
アンコールにハチャトゥリアン(Vnコンチェルト)の3楽章!!
何年か前のサクソフォン・フェスティバルで演奏され、曲芸のような巧さに「ミーハ・ロギーナ」という名前を強く印象づけることとなった、まさにその曲だった。
唖然…

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