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2014.03.06

「東京サクソフォンアンサンブル」の時代と永遠

チラシ画像ムッシュ・クダッチ~サクソフォンの世界~(小金井市民交流センター・大ホール)

国立音楽大学学生(指揮:下地啓二)
モーツァルト(奥野大樹編)/ディヴェルティメントK136 第1楽章
グリーグ(奥野大樹編)/ホルベルク組曲 第1、2、5楽章

東京サクソフォンアンサンブル(S.Sax下地啓二、A.Sax宗貞啓二、T.Sax市川豊、B.Sax佐々木雄二)
ドヴォルザーク(阪口新編)/弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
平部やよい/倖せヲ呼ぶ嶌~サクソフォーン・クヮルテットのための(委嘱作品・初演)

クダッチSAXオーケストラ(指揮:下地啓二)
シューベルト(野村秀樹編)/交響曲第7番「未完成」
メンデルスゾーン(各川芽編)/交響曲第4番「イタリア」

2月の演奏会振りかえりがまだ全然片づいていないのだが、まずは何はさて置いても月曜日(3月3日)のこれを報告しなければならない。

なんといっても「東京サクソフォンアンサンブル」の再結成だ。
1981年にデビューリサイタルを開催。ともにボルドーでロンデックスに学んだ4人による、80年代という日本サクソフォン界の発展期において、トップリーダーとしての役割を果たしたグループである。
日本に常設のサクソフォンカルテットといったら、ほぼキャトル・ロゾーと東京SEしかなかった時代(アルモは未だデビュー前の助走期間で、トルヴェールQは存在すらしていなかった)をリアルタイムで過ごした、私の前後の世代の人間にとって、東京サクソフォンアンサンブルの存在がいかに大きな絶対的なものだったかを、今の若い人に真に実感してもらうことは不可能かもしれない、とすら思う。
そんなグループが、25年ぶりに創設メンバーで復活するというのは、まさに事件である。
そして、演奏もまた、「事件」と呼んでしまうにふさわしい、奇跡のようなものだった。

東京サクソフォンアンサンブルは、1989年3月のリサイタルを最後に市川先生が退団されて以後も、少しずつメンバーが入れ替わっていったのを聴いてきたけれど、勿論すばらしいアンサンブルではあるものの「何かが違う」、という感じが否定できなかった。
しかし、今回の創設メンバーによる演奏は、タイムトンネルをくぐったように、四半世紀前の黄金時代がそのままの形で、何の違和感もなくいきなり目の前に現れてきた!
素手でざくざくと積み上げていくようなあの感じ!この響きだ!このアンサンブルだ!
「アメリカ」全楽章が怒濤のように終わり、大拍手。お辞儀をして座り、(袖に戻らず)すぐに平部さんの委嘱新作。
フランス風の和声に沖縄音階を絡めるという離れ技で書かれたこの作品、かなりの難曲だが、初演とは思えないような鮮やかな連携プレーで紐解かれる。
更に大きな拍手の中、まさかのアンコールに「G線上のアリア」。
かつて東京サクソフォンアンサンブルのリサイタルのアンコールの最後は、必ずこのバッハのアリアだった。
下地先生の、合図を出すとも出さないともない雰囲気の、すっ、という動きに、間髪をおかず4人の分厚い音楽が静かに流れ始める。
…目頭が熱くなりましたよ。

これをリアルタイムで聴いていた当時のことをまざまざと思い出した、というより、一瞬であの当時の自分になってしまった。
1981~89年といえば、私にとってはまさに20代の殆ど。
大学卒業の間際から漸く、ちゃんとしたレッスンを(しかも同じロンデックス門下の先生に)受け始めた私にとって、東京サクソフォンアンサンブルの音楽がいかに大きな存在であり具体的な目標だったか、ということを改めて心底実感した。
また、私はこの十数年ほど、フロート・サキソフォンアンサンブルをはじめとする幾つかのカルテットでテナーの定席にいたんだけど、自分のテナーの理想というのは市川先生だったんだ、ということが今こそはっきりと判った。
殆ど無意識にも、記憶の底にある市川先生の音やスタイルを追っかけていたんだな。
楽器を構える姿勢まで同じだ(笑)

でも、これはノスタルジーではない。断じてない。
時間や時代や流行り廃りを超えた、真の「クラシック」な価値。自分がかつて追い求めていたもの、今も探し続けているものが、確かにここに、或いはこの先にあるという確信だった。
そして、もっと嬉しかったのは、これを無心に聴いていた当時の自分の憧れや夢や情熱が、今でもまだ自分の中にそっくり残っていることを教えられたことだ。
「人は、人生の折々に、自分自身の子孫である」というプルーストの言葉をよく引用させてもらっているけど、まさしくそうだった。
この言葉は今日の日のためにある、と思った。

第1部と第3部は、下地先生の指揮による、学生のラージアンサンブルとサクソフォンオーケストラ。
これも楽しめた。
ついでみたいな書き方になっちゃってごめんなさい。
でも本当に、演奏だけでなく、編曲やメンバーの人選やリハーサルの設営に至るまで、関わったすべての人たちの努力と献身が生きた本番だった。
下地先生の指揮が本当にすばらしい。
拍をとるとかアインザッツを合わせるとかのための棒振りではなく、「音楽」の相というものをまっしぐらに掴みとって見せてくれる指揮だ。
下地先生は、もしサックスが吹けなくなったら、是非専業の指揮者に転身してほしいとさえ思う。
きっと素晴らしい指揮者になるだろう。
アンコールに「アルルの女」のアダージェット。…

いやー、すごい演奏会だった。としか言い様がない。
快速というネーミングにほとんど意味のない、帰りの新宿行き中央線電車の長い道中が、興奮した頭を冷やすのにちょうどいい時間だった。

Photo

最後に、昔日の東京サクソフォンアンサンブル。(1986年頃)
以前、雑誌「The SAX」に載せるために準備した写真を、謹んで再掲させていただきます。

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コメント

私は市川先生がフランスから帰国してから、サキソフォンの練習を数年間みていただいた者です。市川先生の仕事(私立高校の音楽の先生をしていらしたと市川先生が言っていました。)が忙しくなったのか、大森さん(当時、昭和音大の学生で、市川先生の愛弟子でした。)に練習をみていただくことになり、私も忙しくなってきて、練習時間もなかなかとれなくなり、次第にサックスから離れてしまいました。今も、40万円近くしたセルマーのアルトが眠っています。市川先生には大変可愛がっていただき、懐かしく思います。今は上野航平さんの演奏を聴いて、時々当時を思い出しています。
定年したら またメンテして始めようかな!

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