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2013.10.26

プーランク再発見

チラシ画像東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第273回定期演奏会-フランス音楽の彩と翳 Vol.20「フランスオペラの輝き」(東京オペラシティ・コンサートホール)

プーランク/歌劇「カルメル派修道女の対話」(全3幕、演奏会形式)
 浜田理恵(Sop、ブランシュ)
 萩原潤(Bar、ドゥ・ラ・フォルス侯爵ほか)
 与儀巧(Ten、騎士・司祭)
 小林真理(Ms、クロワシー修道院長ほか)
 半田美和子(Sop、リドワーヌ修道院長)
 秦茂子(Sop、マリー修道女長)
 コロンえりか(Sop、コンスタンス)
 大川信之(Ten、第一の人民委員)
 東京シティ・フィル・コーア(合唱指揮:藤丸崇浩)
 指揮:矢崎彦太郎
 (コンサートマスター:戸澤哲夫)

25日(金)に聴いた。
一昨日、プーランクの音楽にこれほど感動したのは初めて、と書いたばかりだけれど、この日も全く同じことを思った。
2013年は個人的に、プーランク再発見の年ということになるだろう。

今日はオペラ「カルメル派修道女の対話」。
フランス革命真っ只中の1794年、「反革命行為」の咎で16名のカルメル派修道女が処刑された歴史的事実に基づくオペラで、プーランクという作曲家の「シリアス」な側面を代表する傑作である。
プーランクは聖なる顔と俗っぽい顔の両面を持つ作曲家で、今回はその「聖なる顔」のほうに正面から触れる、稀少な、たいへんに意義深い機会となった。
とはいえ、(題材はシリアスだけど)音楽的にはどこかで耳にしたような「プーランク節」満載で、たいへん親しみやすいのだが。
演奏的には、コロンえりかさんの声がとにかく凄かった。何者なんだろうかこの人。

神と人間、社会の関わりに関する、半端でない深い洞察を含んだ内容をもつ作品であり、中でも終幕、「サルヴェ・レジナ(憐れみの母)」の美しい合唱のなかギロチンの擬音とともに修道女たちが次々とステージから消えてゆく演出は、実際のオペラの舞台で観たなら真に恐ろしく印象的だろう。
(今回は、舞台後ろのオルガン席にソリストと修道女役の合唱団員が1列に並び、断頭台の音とともに一人ずつ顔を伏せて座る、という演出)

世の趨勢に逆らって、ひたすら神に祈るだけの日々を貫こうとした修道女たちがなぜ処刑されなければならなかったのか、今の眼で見たならば全く意味不明というかやり過ぎな話で、「革命」という市民たちの集団ヒステリーの犠牲者ということになるのだろうが、似たような光景は今日いくらでも見ることができるような気がする。
文化・芸術は勿論、教育、社会福祉、医療といった、いつの時代にあっても変わらない必要性と価値をもつ社会資本に対する、現代の所謂「改革」の圧力というものは一体何なんだろうか。その実態もよく分からないまま、「改革が必要だ」という言葉のみが先走っており、実際にはどこが改革なのかよく分からない、むしろ駄目にするだけの政策が次々と発令され、しかも皆がそういった動きを「とりあえず改革は必要だから」、というぼんやりした理由でなんとなく承認してしまっている。
その間に、「現場」はどんどん疲弊し、劣化してゆく。

百年後の歴史家が現在の世の中を見たらおそらく、修道女たちをギロチン送りにした革命期の市民社会と同じものをそこに見ることになるだろうと思う。
今回の公演は、演奏が素晴らしかったということと共に、この作品のもつそのような今日的意義を呈示し得たというところに、深く感じ入ったのだった。

…さて、2002年に始まり、私もずっと聴き続け応援し続けてきたこの「フランス音楽の彩と翳」というシリーズ、今回をもって一応終了とのこと。
たいへん残念ではあるが(プログラムに掲載の矢崎さんの挨拶も、悔しさが滲み出ている)、これもやっぱり「続きは自分で」やらざるを得ないのかな。…

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