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2013.06.02

Saxcherzet(サクスケルツェット)

チラシ画像Saxcherzet(サクスケルツェット) 9th Concert
(洗足学園前田ホール)

出演:
冨岡和男、服部吉之、宗貞啓ニ、池上政人、岩本伸一、大城正司、大和田雅洋、平野公崇、成田徹、二宮和弘、大貫比佐志、原博巳、大石将紀、有村純親、松井宏幸、江川良子、國末貞仁、林田祐和、貝沼拓実、田村真寛、田中拓也(以上Sax)
山田武彦(Pf)

W.A.モーツァルト(金井宏光編)/歌劇「フィガロの結婚」序曲
林田祐和/サクソフォン四重奏のための「Passion」(S林田・A江川・T松井・B大石)
啼鵬/ラプソディー(S/A大和田・T田村・Pf山田)
F.メンデルスゾーン(伊藤康英編)/プレリュードとフーガOp.35-5(S大城・A池上・T貝沼・B原)
即興演奏(A平野・Pf山田)
G.ガーシュウィン(金井宏光編)/パリのアメリカ人(指揮:池上政人)

5月の最後の金曜日の夜は、サクスケルツェットを聴きに洗足学園音大を訪れる。
洗足学園音大のサクソフォンの先生総勢21人によるアンサンブル。
21人って、学生じゃありませんよ、先生ですよ。

6時半開演だったのだが、仕事をフルに終わらせてから行ったのでは(たとえ定刻で飛び出しても)到底間に合わなかった。
着いたら2曲めが進行中。
1部最後のメンデルスゾーンが聴けただけでも良かった。
(池上センセイの存在感が凄かった)
本日一番の聴き物は平野さんと山田武彦さんのピアノによる「即興デュオ」だったか。
最初のチューニングのAの音のやり取りを演奏の開始と見なして繰り広げられた、完全フリー即興。
これが楽譜なしとは到底信じがたい、変幻自在なスタイルと緩急の変化と、それを支える透徹した形式感による、楽譜に起こせばそのまま作品として通用するレベルの(勿論、とんでもなく難しいものになってしまうけれど)おそるべき完成度で、半ば唖然としつつ聴く。
最後は21人全員(と打楽器の賛助数名)がステージに乗っての、「パリのアメリカ人」。
強引なところや無理の全くない、なおかつ原曲の持つ音楽そのものの尊厳を完全に生かした編曲であり演奏だった。

アンコールに、冨岡先生(ソプラノ)と松井さん(テナー)、山田さんによるトリオ(曲名失念)。
…とても貴重な、かけがえのない時間を過ごした気分だった。
冨岡副学長のソロというのは毎年恒例らしい。
最後は全員で「熊蜂」。

素晴らしい演奏ではあったが(というか、この顔ぶれの演奏会で演奏が素晴らしくなかったらそのほうが困る)、音楽の高等教育の現状というものに思い至ると、少々複雑な気分ではあった。
先生が21人ということは、学生さんはいったい何人いるんだろうか?
それだけの数の学生さんが、サクソフォンで音楽の専門教育を受けて、毎年毎年、社会に出てくる訳だ。
「社会」の側としてはそんなことは今までに無かった事態だし、「専門教育」で教える内容にしても、10年前20年前と同じで済むという訳にはいかなくなるだろう。

まあ、社会の構造的変化に対してどう対処し、どう振舞うべきか、という、いたってよくある話ではあるんですが。
そもそも「クラシック音楽」というのは古典芸能であって、「変化」とはいささか相性が悪いんですわ。
この後もいろいろ考えたけれど、とりあえず省略。

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