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2012.09.06

【聴いた】冨岡祐子(Sax)、スペクトル音楽

20120904Series Focus Vol.2~Musique spectrale(古賀政男音楽博物館・けやきホール)

ドビュッシー/ラプソディ(A.Sax・Pf)
同 /ビリティスの3つの歌(Sop・Pf)
G.シェルシ/3つの小品(S.Sax)
レクチャー(「スペクトル音楽」について) 佐藤淳一
T.ミュライユ/別離の鐘、微笑み~オリヴィエ・メシアンの想い出に(Pf)
Ph.ルルー/緑なすところ~ジェラール・グリゼイへのオマージュ(S.Sax・Sop)
B.マントヴァーニ/霧雨の白熱(S.Sax・Pf)
 冨岡祐子(Sax)、田中麻理(Sop)、羽石道代(Pf)

4日(火曜日)。
始まる前は、冨岡祐子さん(アテナQ.のテナー奏者である)のリサイタルだと思っていた。
でも聴いてみたら、そう単純な話ではなかった。
6曲中降り番が2曲もあるし(全ての曲が異なる編成だった)。

現代フランス楽派のひとつの大きな潮流である「スペクトル音楽」に焦点をあてたプログラム。
2部の開始前には、「ドクター・サックス」佐藤淳一さんによる、スペクトル音楽についての、スライドと音源を使用した(学会発表のような)レクチャーも挟まれた。
そしてそれらは、単に「スペクトル音楽」とは何か、という説明と紹介にとどまらず、そこに鳴っている音と響きを虚心に「聴く」、という、現代音楽を聴く上での、いや、「音楽」というものすべてを感じとる上での最も当り前で大切なことを、真っ直ぐに指し示していた。

「スペクトル」という言葉の由来である、音を自然倍音列に基づいて分析的に聴く、という方向性は、『自然原理に還元した和声論』(1722年)を著したジャン=フィリップ・ラモー以来の、フランス音楽の伝統のようなものだ。
ドビュッシーという作曲家はそのような伝統に則って必然的に現れたのだし、佐藤さんのレクチャーではアンチテーゼ的に扱われていたブーレーズの音楽だって、実は間違いなくそんな伝統の上にいる。
勿論、佐藤さんはそのことは先刻承知の上で、限られた時間で分かりやすく説明するために類型的な説明の仕方を採用したのだろうけれど。

ともかく、「音」を、理屈ではなく(「分かりやすい」旋律だって、耳に親しんだ定型的な和声進行だって、結局はすべて「理屈」だ)、あるがままに聴くということがどれほど大切で、ではそれは具体的にどういうことで、それによって私たちの音楽に対する接し方がどれほど広がるか、ということを示し得たのが、今日のこの催しの最も素晴らしいところだったかもしれない。

そしてそのことは、冨岡祐子さん自身の、純正きわまりない音と響きによって圧倒的に説得力を増していた。
早口言葉のような人声とソプラノサックスが多くユニゾンで動きまわるルルーでの、両方の響きがほとんど判別できないほど完全に絡んだ様は圧巻だったし(サクソフォンの音と人の声はよく似た倍音構造を持っているそうだが、本当にそうだった)、マントヴァーニについては以前、井上麻子さんのこの曲についての「ファで始まって、いろいろあって、ファで終わる曲です」、という簡潔すぎる解説を聞いて大笑いしたことがあったけれど、その言い方が実は笑い話どころか大変に核心を衝いた真実である、ということを改めて納得させられたのだった。

そんなわけで、単なる「演奏会」、という以上に、私たち自身のありようや行動に関する特別な感興をも得た、稀な機会だった(たくさん演奏会に通っていても、そうそうそのような時間には巡り逢わない)。

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