2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト
無料ブログはココログ

« ホール夫人委嘱作品一覧 | トップページ | 【聴いた】冨岡祐子(Sax)、スペクトル音楽 »

2012.09.04

【聴いた】都響現代音楽祭り

TMSO, 20120903東京都交響楽団 第740回定期演奏会《シリーズ・日本管弦楽の名曲とその源流-16》(東京文化会館)

松平頼暁/室内オーケストラのための「コンフィギュレーション」I・II
同 /オーケストラのための「螺旋」
ベリオ/協奏曲第2番「エコーイング・カーヴ」(日本初演)
 Pf:岡田博美
 指揮:高関健
 (コンサートマスター:山本友重)

都響は毎年、年明け1月が恒例現代音楽祭りだったけれど、今年は秋シーズン開幕いきなりにずれ込んだ。
しかも、プロデューサーが一柳慧センセイに代わってからというもの、聴く側にとってもおそらく演奏する側にとっても、極限のような激烈さを味わわされることになる。

松平頼暁氏の音楽は、ある意味「懐かしい『現代音楽』」だった。
技法的には様々なアイディアの粋を凝らしつつも、出てくる音は私たちが最も典型的にイメージする「現代音楽」というものの雰囲気に似つかわしい。
あの、理詰めの冷厳な美しさは、例えばウェーベルンの音楽からそれほど離れたところにはいないように思う。
ベリオは曲者だった。
サクソフォンを含む、管楽器を主体とした小オーケストラが舞台下手(通常ヴァイオリン群のいるところ)に吹奏楽のように並び、それを取り囲むかのようにひな壇の上には、弦楽器を主体とした(やはりサクソフォンが含まれる)第2オーケストラが居並ぶ。
コンマスがひな壇の上にいるという、ステージ上の並びからして前衛だ。
一種のピアノ協奏曲だが、ピアノソロはいったいどういう楽譜になっているのか想像もつかない、超絶技巧連打乱れ打ちの嵐。
名手・岡田さんの怖いほどの冷静さが際立っていた。
半分呆気にとられつつ聴きながら、なんだかストラヴィンスキー(ペトルーシュカとか)の物凄い延長線上みたいだなと思っていたのだが、後から指揮者高関さんのツイッターを見てみたら、「カルタ遊び」との類似性を指摘されていて、驚き。
…しかし大変な曲だった。
真面目な話、これがもし30年前だったら演奏不可能だったんじゃないかと思う。
近年の国内オケの技術の進歩は物凄い。

(サックスはA井さんとK沼さんでした)

TMSO, 20120828書きそびれていた、先週のBシリーズ定期の覚書も少し。
8月28日。

東京都交響楽団 第739回定期演奏会《シリーズ・日本管弦楽の名曲とその源流-15》(サントリーホール)

ケージ/エトセトラ2(4群のオーケストラとテープのための)*
一柳慧/ピアノ協奏曲第5番「フィンランド」~左手のための(初演)
 Pf:舘野泉
一柳慧/交響曲第8番「Revelation 2011」(管弦楽版初演)
 指揮:下野竜也、*大河内雅彦・松村秀明・沖澤のどか
 (コンサートマスター:山本友重)

サントリーホールの委嘱作品(1986)、ケージの「エトセトラ2」再演が面白かった。
オーケストラメンバーは全員普段着で登場。
4群のオーケストラ、ということにはなっているが(初演の指揮者は岩城宏之・一柳慧・黛敏郎・湯浅譲二の4人だった由)、それぞれは小さな吹奏楽団のセクション練習程度の大きさで、ステージ上の思い思いの場所で指揮者を囲んで座り、脈絡のないタイミングで各々が「バン」、とtuttiを鳴らす。
バックには、ケージの自室で録音したという日常音のテープが流れる(人が歩いたり、電話が鳴ったりする)。
「切り取られた日常」、というイメージ。
きっちりと確立し出来上がった「音楽」、というイメージから、こんなに遠いものはない。
音楽なんてそれでいいんだ、いや、「それ」がいいんだ、というケージという人の主張が、ちょっとだけ分かった気がする。

一柳さんの新作は、在りし日のケージ門下生、「日本のジョン・ケージ」と呼ばれた前衛主義者も、トシを取るとまたずいぶんとフツーの曲を書くようになっちゃうのね、という別の感慨があった。

« ホール夫人委嘱作品一覧 | トップページ | 【聴いた】冨岡祐子(Sax)、スペクトル音楽 »

コンサート(2012年)」カテゴリの記事

都響」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ホール夫人委嘱作品一覧 | トップページ | 【聴いた】冨岡祐子(Sax)、スペクトル音楽 »