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2012.08.31

ドビュッシーのラプソディ、自筆譜

8月の最後は、備忘録的な話題をひとつ(別名・ひとのフンドシで相撲をとる、という。笑)。

ご存じkuri君のブログで、先日面白い記事を見つけた。
ドビュッシー作曲の、サクソフォンとオーケストラのための「ラプソディ」の自筆譜の鮮明な画像が、ボストンのニューイングランド音楽院(NEC)のアーカイブで公開されている件。→こちら

いろいろなことが分かる。
この曲の元々のタイトルは、orchestreとsaxophone principal(「独奏」というより、オーケストラをリードする楽器、というニュアンスなのかな)のための「ムーア風狂詩曲」(Rhapsodie mauresque)だった、とか。(別の各種資料での記述と一致する。)
この7月に横浜でジェローム・ラランが演奏した「原典版」というのは、これを元にしているのだろうか。

この曲は、ボストンのオーケストラル・クラブの会長をしていた(要は、音楽界のパトロンだった)富裕な女性、エリーズ・B・ホール(エリザ・ホール)夫人の委嘱で書かれたということはよく知られている。
ホール夫人はたまたま、健康上の理由でサクソフォンを吹いていたのだが、当時サクソフォンのための曲というのはまだほとんど無かったので、財力にものを言わせて「自分が演奏するための曲」を何人もの作曲家に委嘱しており、ドビュッシーもその一人だった、ということ。
しかしドビュッシーは、1901年に委嘱を引き受けたものの全く気乗りがせず、10年近くも放ったらかした末、サクソフォンとオーケストラのための作品、という委嘱条件にもかかわらず、ここで見ることのできる「スケッチ(Esquisse)」というタイトルのピアノ譜を、やっとのことでホール夫人に送ったのだった。

1年近くもそれで生活ができるような(←ドビュッシー自身の述壊)高額の委嘱料を前払いで支払ったホール夫人としては、さぞやガッカリしたことだろうとは思うが、ドビュッシーの場合構想や断片のみに留まって全く完成しなかった作品というのも山のようにあるので、曲がりなりにも最後まで通った状態で楽譜が残ったことは幸運だったと思いたい。

ドビュッシーが果たせなかったこの曲のオーケストレーションは、ドビュッシーの死後、フォーレの弟子のロジェ=デュカス(1873-1954、「魔法使いの弟子」のポール・デュカスとは全く別人)が行い、1919年5月14日、アンドレ・カプレの指揮、フランソワ・コンベル(当時、ギャルドの首席サクソフォン奏者。マルセル・ミュールの師である)の独奏により、ようやく初演が実現した。

その後に出版されたこの曲のピアノ版はほとんどが、そのロジェ=デュカス版のピアノリダクションであるため、ドビュッシーが書いた「原典版」とは細部はかなり異なるであろうことが推測される。
この曲そのものに関心のある人は、ここで公開されている楽譜をもとに、各人それぞれの「原典版」を作成してみるのがよいと思う。
私も、もしこの曲を演奏する機会があったら(まだないけど)、そうしたい。

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