静岡でモーツァルト
4日(日曜)は、年に何度かの恒例静岡行き。
近年滅多にないほどに暖かく透明に晴れ渡った1日となった。
快速アクティー→東海道各停乗り継ぎでのんびりと向かう。
写真は、東静岡駅前のグランシップ10階展望ロビーからの富士山。
ここからこんなにくっきり見えたのは初めてかも。
シンフォニエッタ静岡 第22回定期演奏会(グランシップ 中ホール「大地」)
モーツァルト/
交響曲第17番
ヴァイオリン協奏曲第1番
交響曲第29番
ヴァイオリン協奏曲第2番
Vn:長尾春花
指揮:中原朋哉
今回は、特段に言うべきことはない。
きわめて「普通」で、真っ当なモーツァルトの音楽であり演奏であり、コンサートだったと思う。
でも、こういう日常のような真っ当さ、というのが実は実現がとても難しいことではあるのだが。
日常と非日常、ということについて考える。
創造の「創」という字には、傷つけるという意味があるとおり、芸術というものはそもそも「日常」を破る、非日常の世界だ。
しかし、だからといってコケオドシ的に日常と対立する仰々しいものばかりが芸術だということでもない。ステージ上に演奏者を800人も並べてワーッとやらかすとかね(笑)
はっきりしていることは、人間にとって芸術に親しむということは、ある種の非日常な時間を日常的に、あるいは日常の中にさりげなく持つということだ。
長尾春花さんのモーツァルト・ヴァイオリン協奏曲全曲演奏の第1回ということで、あまり弾かれない1番2番のコンチェルトと、同時期に書かれた若い番号のシンフォニーの組み合わせ。
当初の発表ではルーセルのシンフォニエッタが「17番」の代りに置かれていたのだが、ルーセルが聴けなかったのは残念だけど、プログラムとしての説得力はやはりモーツァルトで揃えたほうがあったというのは実感。
しかし「29番」ってモーツァルト18歳の作品だったんですねえ。
うーむ改めて天才だ。
春花さんは1番と2番で衣裳替えをされて弾いた。
(追記:アンコールは異版かと思っていたらそうではなかった)すべて暗譜。気合い入れて来てますね。
春花さんのヴァイオリンは、どんなに細かい速いパッセージでも、必ずそこに溌剌としたご自身の歌がある。
前回聴いた春花さんのクルト・ワイルのコンチェルトが、今までに録音でも実演でも聴いた誰よりも「良い曲」に聞こえたというのも、たぶんそこだ。
終演後にロビーに出てこられたところを見たら、写真や舞台上の姿と全然違って、本当にフツーの大学生の女の子、という感じだった。
頼むからこのまま、真っ直ぐ成長してほしい、と願わずにはいられない。
特に言うことはない、とか言いながら結構書いてる(笑)
帰りは新幹線。
演奏会場ロビーで売っていた、藤枝かおりなるペットボトルの藤枝茶を飲みつつ。
ジャスミン茶のような独特の爽やかな香りがなかなか美味。
「お茶まで売るようになっちゃいました」、とスタッフの方が笑っていたけれど、産地・品種・数量全て限定の珍しいお茶らしい。
オーケストラの演奏会ロビーという場所は、東京だってカレンダーやらTシャツやら茶碗やら石鹸やら(笑)色々なものを売っているものだし、地産の面白いものはどんどんとり上げてよいと思う。
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