昔の第九
2011年も無事打ち上がって、嘘のように平和な年末年始休暇が進行している。
休み初日の昨日は、年賀状の作成から投函まで。
作業をしながら、積ん読状態になっていたCDや、久々に聴くCDを片っ端から鳴らす。
そういえばCD関係のネタは最近あまり書いてないなあ。
タイミングを外すと新鮮度が落ちたり、そもそも忘れてしまったりするコンサートレポート記事とは違い、いつでも書けると思うとどうしても後回しになってしまう。
そもそもCD感想というのはあまりアクセス数の稼げる記事ではないので、モチベーションが上がりにくいということもある(サクソフォン関連のCDが入っていると、それ目当てで読んでくれる方はいるけれど、そうでなければウチでとりあげるCDというのはそんなメジャーなものではないので)。
アクセス数解析というのも善し悪しだなあと思う。
本当はそんなものを気にしないで、自分が本当に書きたいことを書くべきなんだろうと思うけれど、どうしても気にしちゃうもんなあ。
という訳で来年はCD関係の記事をもっと書く、と誓う。
でもこれだけは、時節柄、年末のうちに書いておこう。
ワルターのベートーヴェン「第九」。
私の場合、最初に聴いた「第九」のレコードは、小学生の頃、なぜか家にあったカラヤン=ウィーンフィルの1940年代の古い録音(EMI)。
モノラル録音を電気的にステレオ化した、いわゆる「疑似ステレオ」だったけれど、別にそんなことは気にせず聴いていた。
結構いい演奏だったと思うし、若き日のカラヤンのもって回ったところのない音楽の運びは、入門用としてははからずも最良の選択だったと思う。
「第九」を1枚に収めたLPレコードのほとんどがそうだったと思うけれど、このレコードの欠点は、(LP片面の収録時間制限の関係で)第3楽章の途中でレコードを裏返さなければならないことだった。
高校生くらいになってだんだんイッパシのことを言ったり考えたりするようになると、子供の頃から聴いていて傷だらけになってしまったこんな古めかしいレコードではなく、「自分の第九」のレコードが欲しくなってきて、3年生になって結局買ったのが、ワルター指揮コロンビア響のステレオ録音、「第九」と「運命」がLP2枚組に収まったCBSソニーの限定盤だったのだ。
「第九」の1楽章で1面、2・3楽章で1面、盤を替えて4楽章で1面、裏に「運命」。
これで楽章の中で盤を裏返す必要がなくなって、以後自分の「第九」のスタンダードとなったという訳。
それから数年が経って、世の中にCDというものが登場し(「第九」の最初から最後まで一度も盤を替えずに聴き続けることができる、というのがどんなに画期的なことだったか、今となっては実感することは難しい)、LPレコードはあっという間に駆逐され、でもその頃には私自身は、「第九」はCDを聴き比べるより実演を聴いて楽しむほうにシフトしていた。
あまりにも懐かしい、1959年録音のこのワルターの「第九」、CDでじっくり聴くのは久しぶり。
鮮明な音だ。
1876年生まれ(ブラームスの「交響曲第1番」が初演された年である!)の巨匠指揮者の録音が、こういう音で残っていることに、まずは改めて感謝感激。
…今はこういう「第九」って無いなあ、とつくづく思う。
18分近くをかけた第3楽章アダージョが、なんといっても特徴的だ。
ここにある祈りの感情の特別さは、今この2011年末という時代なればこそ実感できるのかもしれない。
物凄くゆっくりなんだけど、重くないのね。
4楽章の合唱が入ってからが妙に音が薄いとか、テノール独唱の歌い方が品がないとか、言えば言うことはいろいろあるけれど、CDを聴いてこれほど深い感動にとらわれたことは絶えて久しい。
これからも、何か特別なときに聴こうと思う。
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