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2011.11.18

祝祭のマリンバ…偉大なる母性

20111118東京文化会館レクチャーコンサート2011/12 《祝祭と音楽》シリーズ第3回「日本発信の輝かしきマリンバ音楽の歴史」(東京文化会館・小ホール)
 安倍圭子(Marimba・ナビゲーター)

今年の東京文化会館小ホールのレクチャー・シリーズは、実に興味深いラインナップだ。
今日は日本の、いや、世界マリンバ界の第一人者にて大御所、安倍圭子さん。
遅れて着いたので後半しか聴けなかったのだが、大変楽しい自作自演(ソロ、アンサンブル)の数々を聴くことができた。

安倍圭子さんといえば、30年以上前、私がクラシック音楽をまともに聴き始めた頃にはもう既に、知らぬ人はいないような斯界の第一人者だった。
1979年のこと、現代日本のマリンバ音楽の中でおそらく最大級の成功を収めた作品である伊福部昭「ラウダ・コンチェルタータ」の初演に居合わせることができたのは、私の一生の自慢だ。
私の父とそう変わらないようなお歳のはずだが、目の眩むような素早いマレットさばきもしなやかな身体の動きも、あるいは自分の孫のような年齢の学生たちを従えてのアンサンブルで見せる統率力と威厳も、なんら昔と変わらない。
でも決して、シャーマンのようなキャラクターではなかったのが意外といえば意外だった。
演奏で見せる異常ともいえる集中力も、聴いているこちらに緊張を強いるものではなく、むしろ心を開けて、聴いているうちになんだか自然にニコニコしてきてしまうような、そんな作用があるかのようだ。
喋る声は、人の好いおばちゃんが熱く語る、といった雰囲気で、なんというか、偉大な「母」、とでもいうものを自然と想起させる。

卑弥呼女王というのは、安倍さんのような女性だったのかもしれない、と、ふと思った。
普通、卑弥呼女王というと、手塚治虫の「火の鳥」黎明編で描かれたような、呪術を執り行う荒ぶるシャーマン、というイメージだけど、実際には(勿論、シャーマン的要素はあるとしても)、この人の言うことを聞いておきさえすれば何の心配もないと、人が自然に、自発的に付き従うような広大な母性と包容力を備えた方だったんじゃないかな。

…安倍さんという方は、優れた演奏家であるだけにとどまらず、マリンバの音楽というものを、ジャンルごと、独力で一から作ってしまった人でもある。
そのことの価値は、サクソフォンの世界でいえばマルセル・ミュールのそれに相当・匹敵する。
そのような偉大な芸術家と、同じ国、同じ時代に生きている幸運に感謝し、また誇りに思う。

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