「音楽」のために…ファブリス・モレティ
ファブリス・モレティ サクソフォン・リサイタル(ルーテル市ヶ谷ホール)
J.S.バッハ(M.ミュール編)/フルートソナタ第6番(BWV1035)
P.M.デュボワ/フランス組曲より
ドビュッシー/ラプソディ
マルチェッロ/オーボエ協奏曲
ヴィラ=ロボス/ファンタジア
カントルーブ(伊藤康英編)/「オーヴェルニュの歌」第1集
Fabrice Moretti(S.Sax・A.Sax)、服部真理子(Pf)
15日のこと。
久しぶりに聴くモレッティのリサイタルは、専心的な雰囲気を感じさせるこのルーテル市ヶ谷という会場にふさわしく、今までにも増して「音楽」の深さを備えた、凄味すら感じる余韻を残して終わった。
かげろうのように繊細なピアニシモも、空気を裂くような強大なフォルテも、切れ味鋭い発音も鮮やかで自在なテクニックも、明確な美意識と意思に裏打ちされた趣味の良いフレージングも、マルチェッロで紡ぎだされたゴシック建築の装飾のようなアラベスク模様の即興の奔流も、すべては心の内側からのみ湧き出してくる「音楽」のためにあった。
芸術とか教育とかのジャンルに存在する「黄金時代指向」というべきものを、モレティ氏ほど明瞭に感じさせるサクソフォニストは稀だ。
かつて確かに存在していた、今は見失ってしまったように見える素晴らしいものを全身全霊をかけて追い求める、というそのような指向は、決して「昔は良かった」的懐古趣味ではなく(いまさら無知で無力だった若い頃に戻りたいとは思わない)、人間が人間らしく前向きに生きていくに際して絶対必要なものであり、優れた「クラシック」の演奏家や指揮者がひとしく備え、実践していることでもある。
そうでなければ、100年前200年前に書かれた音楽を現代の時空間に再創造するという「クラシック演奏家」のミッションなど、完遂しようがないではないか。
…アンコールに、プラネルのロマンティック組曲より「センチメンタルなワルツ」、そしてシューベルトのセレナード。
センチメンタルではあっても、全然湿っぽくない。むしろ「かーん」と乾いて冴えている。
つくづくフランス芸術の本質であると思う。
このように深遠な本質を、ここまでシンプルにあっさりと呈示してしまうんだから全くもう。
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ご無沙汰しています。
鹿児島のSAX野郎です。
鹿児島でのF.モレティの公演も最高でした。
久しぶりに彼の演奏を聴き,また血が騒いでいます。
このコメントを鹿児島でも紹介させてくださいね。
投稿: SAX野郎 | 2011.11.18 12:57
こちらこそご無沙汰しております。
彼の音楽の素晴らしさが、もっともっと広まってほしいものだと思います。
サックスの世界だけに限ったことでもありませんし。
投稿: Thunder | 2011.11.20 14:45