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2011.10.06

古いものと新しいもの…雲カル2011

KumoiQ_20111003雲井雅人サックス四重奏団 第9回定期演奏会(ルーテル市ヶ谷センターホール)

A.ヴィヴァルディ(大野理津編)/調和の霊感Op.3-6
D.スカルラッティ/3つの小品
A.マルチェッロ/オーボエ協奏曲(S.Sax:ティモシー・マカリスター)
レンスカ・フローリク/サイドウォーク・ベンド(日本初演)
生野裕久/ミサ・ヴォティーヴァ
マーティン・ブレズニク/ Every Thing Must Go(日本初演)

遅くなりましたが月曜日(3日)の覚書。

今年の雲カル演奏会は、前半にバロック、後半に現代作品を対比させたプログラムである。
昔持っていた、フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブルの「グリーンスリーヴズ」というレコード(CDに非ず)を思い出した。
レコードの片面に、表題曲やヘンリー・パーセル、ウィリアム・バード、クロード・ジェルヴェーズのルネサンス舞曲集といった昔の音楽、もう片面に20世紀の作曲家たちによるファンファーレ集を収めたアルバムだった。
どちらがA面に入っていたのか忘れてしまったが、レコードというものは必ずどちらかの面から通しで聴くことになるため、どちらから聴き始めるかによって印象がずいぶん違ったものになるのだった。
いわば、古い音楽と新しい音楽とが、1枚のアルバムの中で、異なるあり方での出会いを演じていた、ということになる。
実はCD化されたものも持っているんだけど、CDは曲順が固定されてしまうので、レコードのような面白さは薄まる。
その代わり、ランダム再生というCDならではの新しい音楽的出会いの「モード」もあったりするんだけど。
閑話休題。

今回の雲カルのプログラムにも、そのような、古い音楽と新しい音楽との出会いの形というものがあったと思う。
「調和の霊感」のような曲を演奏してこれほどサマになるサクソフォンカルテットは他にないと思うし、雲カルがとり上げる現代曲というのは、強い音楽的表出が様々なプロセスを経て祈りへと昇華してゆく、という形が多かれ少なかれあって(最後のブレズニクの作品が典型)、時間を超越したところでの「昔の音楽」との予期しない美しい出会い、というものが起こることになる。

そういう意味では、クレーの抽象画みたいな趣の「サイドウォーク・ベンド」の何気なさというのは、新鮮だったな。

マルチェッロは名手マカリスターがゲストで登場。
あの落ち着いた響きと音楽性は、雲カルの上に乗っても何ら違和感はない。さすがだ。

美しい出会いと、美しい響き。
それらは、アンコールの最後、「彼方の光」に至って、透明な、神々しいまでの光り輝きと無欠のバランスの中に収束していくことになる。
…溜息が出ますわ。

200席のルーテル市ヶ谷ホールは、通路という通路に補助椅子を並べまくった大入り満員。
このホールは私は好きな会場だけれど、ちょっと狭すぎたなあ。
次回の第10回は、是非もう少し大きな会場で聴きたいものだ。


さて、この文章を書いてupしようとした翌4日の深夜のこと。
うっかり(という訳ではないけれど)、前日のホール練習での自分の演奏の録音を聴いてしまったのだ。

もう、何て言うか、激しく凹んだ。
自分の演奏や音がこれほど無価値に感じられたことは、いまだかつて無かった。
自分では、もう少しは音楽的なことが出来ていて、もう少しはましな音が出ているように思っていたんだけど、雲カルを聴いた後では、そんな自惚れや思い上がりは完膚無きまでに蹴り崩された思いだった。

その後はブログなんか書く気になれなかったれど(それでupが遅くなったんだけど)、やっと気を取り直して、新たに書いてみたところ。
自分がどんなちっぽけな存在であっても、ちっぽけなりに誠心誠意、自分に出来るかぎりのことをするしかない、とは理屈では判っているんですけどね。…

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