2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
フォト
無料ブログはココログ

« 魔法の時間~ギルバート&都響 | トップページ | パイパーズ、30年 »

2011.07.19

トリスタンとイゾルデ

NJP, 20110717/18新日本フィルハーモニー交響楽団 第480回定期演奏会(すみだトリフォニーホール)

ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全3幕、コンサート・オペラ形式)

 トリスタン:リチャード・デッカー(Ten)
 イゾルデ:エヴァ・ヨハンソン(Sop)
 マルケ王:ビャーニ・トール・クリスティンソン(Bs)
 クルヴェナル:石野繁生(Bar)
 メロート:桝貴志(Bar)
 ブランゲーネ:藤村実穂子(MS)
 牧童/若い船乗りの声:与儀巧(Ten)
 舵取り:吉川健一(Bar)
 栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)
 演出:田尾下哲
 指揮:クリスティアン・アルミンク
 (コンサートマスター:崔文洙)

今シーズン最後のNJP定期。
「トリスタンとイゾルデ」全3幕の演奏会形式。14時開演で終演は19時。
普通のシンフォニーの演奏会2.5回分の贅沢でした。

このオペラを全幕観るのは初めてだったんですが。
長大な上演時間に比べて、ずいぶんと刈り込まれて単純化・抽象化されたストーリーにまず驚いた。
プログラム冊子の1ページに、「あらすじ」がまとまっているんだけど、筋書きの上ではそれに付加するものがほとんどない。
ワーグナーという人物の、単に面白おかしい波瀾万丈の「物語」をつくるという意図ではない、そういう形を借りながら自分自身の「思想」を音楽と共に壮絶なまでにシツコク語る、という戦略について考えさせられた。
19世紀末のヨーロッパ音楽がこのオペラの影響を受けまくった、ということは、ワーグナー自身はしてやったり、と思ったことだろう。

演奏は、現代的で冷静沈着、とても客観的で見事なものだった。
現代日本における「トリスタン」入門としては、これ以上のものはないと思う。
ステージの上にはほぼ通常の形でオーケストラが並び、最前列と最後列、そして弦と木管列の間の3ヶ所に通路状の演台を置き、歌手はその上を動きながら歌う。衣裳は無し。
背面には映画館のような大きなスクリーンを張って、そこに字幕と場面ごとの抽象的な背景を映し出す(字幕が見やすくて大変よろしい)。
背景の映像は、第1幕だったら海の風景と船の甲板上の(ような)光景、第3幕ではなぜか地平線と雲海のかなたに浮かぶ地球の映像で、話の展開につれてその地球の姿が刻々と変わっていく。
トリスタンが死ぬ場面では、いったん地球は真っ白な球体となり、イゾルデの「愛の死」とともに本来の青い海と陸と白い雲の姿を取り戻して(宇宙戦艦ヤマトの帰還場面みたいだ)、地平線を離れて完全な形を浮かび上がらせる。
去年のやはりNJP定期での「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)と似た演出だった。
「ペレアス」と「トリスタン」って、実は似てるかも、ということを実感させられた。
「トリスタン」の中にある象徴主義的な部分に視線をおいた演出だったと感じた。

歌手は脇役(ブランゲーネ、マルケ王、クルヴェナル…)が主役陣を食っちゃった、という感も少しあり。

…という訳で、今季のNJP、2010/11シーズンも終了。
来季からサントリーホール定期の会員に鞍替えしたので、この席ともお別れ。
来季は年1回のこの「コンサート・オペラ」も無くなってしまったので(だから鞍替えした、ということではないんだけど)、ちょっとつまらない。
まあ、そもそも定期演奏会の中でこんな大規模なオペラを(演奏会形式とはいえ)毎年やるというのが採算的に無理なのだろうから、仕方ないんだけど。

« 魔法の時間~ギルバート&都響 | トップページ | パイパーズ、30年 »

コンサート(2011年)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 魔法の時間~ギルバート&都響 | トップページ | パイパーズ、30年 »