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2011.05.06

余韻の中で思う

連休の谷間、今日は普通に仕事。
なんか調子狂っちゃうなあ。

それでもまだ、なんとなく一昨日の余韻の中。
とりとめもなく、いろいろなことを考える。

今回の演奏の破格の(と言っていいと思う)完成度を顧みるに、
「なぜリード先生が存命で指揮をしていただいているうちに、こういう演奏ができなかったのか」
という、返らない悔恨とか。

仕方がない、のは分っているんだけど。
かつてリード先生が振っていた頃の「音の輪」は、演奏の完成度を突き詰めることよりも、前日のゲネプロと本番のみを作曲者であるリード先生が指揮するという、「祝祭性」と「唯一無二性」を皆で体験し寿ぐ、ということが主眼だった。
それはそれでたいへんに貴重で誇らしい体験で、残された演奏は、もはや決して再現されることのない「絶対」の記録である。

そう考えるとこれからの「音の輪」では、私たち、生前のリード先生を直接知る者の責任がますます大きくなっていくだろう。
リード先生の棒の振り方やテンポは勿論、何気ない仕草や言動のひとつひとつも、覚え続け、機会があれば伝えていくこと。
リハーサルが終わって解散するとき、必ず片言の日本語で「じゃあまた~」と言って手を振りながら去って行ったこととか、ソロのパッセージを間違えた奏者に対して、手でピストルの形を作って「バーン、」と撃つ真似をする(私もやられたことがあります)とか。
本番後のレセプション等で挨拶に立たれた時の、いつも同じ決まり文句とか。(昨日書いた「今日の本番がどんなに素晴らしいものであったとしても、次の本番はもっと良くなるように努力してください」、ってのもそう)

小串先生が今回の演奏会本番の舞台上インタビューで話された、演奏に対するリード先生のアドバイスには、心打たれた。
「一音一音、心をこめて演奏してください」
と、それだけだったそうだ。

『ハムレット』の中の有名な台詞と同じだ(以前の日記でも引用したことがあった)。
「心を伴わぬ言葉が、どうして天に届こうぞ。」
そう、心を伴わない音楽は、天にも人にも、決して届かないのだ。

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