アジテーションとしての「第九」
諸事情によりPCに向かう時間を極力減らさねばならないので、ブログの書き方の新しいスタイルを模索中。
月曜(21日)、ブリュッヘンと新日本フィルのベートーヴェン8番&9番を聴いてきました(サントリーホール)。
斬新なベートーヴェンでした。
「斬新」という言葉が適切かどうか判らないけれど、ホントに斬新でした。
一瞬も目を離せない。
一生の間にそう何度とは体験できない、とてつもない時間の中にまさに自分が今いる、という実感がありました。
最も印象に残ったシーン。
9番。4楽章が始まってもソリストが出てこない。
合唱団の前の4つの椅子は空席のまま、序奏と以前の楽章を回想するレシタティーヴォが一段落し、「歓喜の歌」のメロディが流れ始める。
そのまま「歓喜の歌」が盛り上がって頂点に達しても、まだ出てこない。いったいどうするんだろう?
やがてティンパニのロールと共に、4楽章冒頭の、轟音のような不協和音のパッセージが還ってくる。その瞬間!
ステージ上手側のドアがバッと開いて、バリトン歌手が乱入(まさに乱入)。
「O Freunde, nicht diese tone!」
おい、お前ら、なんちゅう音を出しとるんじゃ、と、舞台上のオーケストラを指差しながら、怒鳴る。
「Sondern lasst uns angenehmere anstimmen, und freudenvollere.」
いいか、もっと楽しくて、もっと喜びにみちた調べを歌おうじゃないか。
回りをゆっくりと見回して、中央の席へと歩きながら、続きのフレーズ。
そして、シラー作詩の「歓喜の歌」本編へ。
バリトン独唱の1コーラスの終わりの方で、残りの3人のソリストが下手側から早足で登場。わずかな間奏部分でぴたりと中央の席に辿り着き、そのまま2コーラスめを4人で歌い始める。
うわー、やられた。
オペラかと思った。
ベートーヴェンが作詩した序詞部分というのは、アジテーションだったんですね。
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