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2011.02.25

クローバー2011

image - CloverSaxQ, 20110223クローバー・サクソフォン・クヮルテット リサイタル(東京文化会館・小ホール)

J.S.バッハ(栃尾克樹編)/イタリア協奏曲
ドビュッシー(伊藤康英編)/小組曲
林田祐和/パッション
伊藤康英/サクソフォン四重奏曲第2番
F.シュミット/サクソフォン四重奏曲

23日のこと。
デビューの地(プロフィールには「2008年5月にリサイタル・デビュー」とあるけれど、2007年の間違いですね)、東京文化会館小ホールに再び立ったクローバーSaxQを、聴いた。

間違いなく彼らの新しい境地だったと思う。
特に後半。
フロラン・シュミットの四重奏曲といえば、サクソフォン四重奏の世界の最難曲のひとつとして名高いけれど、今まで私は、この曲に関してはハバネラQを超える演奏は不可能だと思っていた。(2002年秋に実演を聴いたハバネラのシュミットには、大袈裟でなく、世界観を根底から変えさせられた。)
しかし今日はその、ハバネラとは全く異なる感性によるアプローチの可能性を予感した。
それはよく言われる日本的な感性ではなく、もっと広く奥深く根源的な、東洋人の持っている独自の集中力のなせるものかもしれない。

集中力といえばヨーロッパの連中は勿論凄いけれど、韓国人を含むわれわれ東洋人が本気を出したときの、度を超えた集中が爆発を起こすような顕れ方は、ヨーロッパ的な価値観では量りしれないようで、畏敬と、少しの恐怖を以て「カミカゼ」「カラテ」「ゼン」、等と呼ばれることになる訳で。
そういう感性をリリースするきっかけになったのが、もしかしたらシュミットの前に演奏された、伊藤康英さんの四重奏曲第2番かもしれない。
これは本当に、類例のない音楽だ。
予告では、棚田文紀「ミステリアス・モーニング2」がアナウンスされていたが(どういう事情で変更になったのかは知らないが)、この曲になって結果的には良かった。本当に良かった。

昨年末のサクソフォーン・フェスティバルの企画で、「サクソフォーン四重奏名曲館」と題して、クローバーをはじめとする4つの若手カルテットが、ジャンジャンの四重奏曲とか「グラーヴェとプレスト」とか、よく演奏される有名曲を競演する、というコーナーを聴いたことを思い出す。
クローバーは、デザンクロの四重奏曲と、あともう1曲やったのだが、これがもう、4団体の中では文句無しに圧倒的に巧かった。
アマチュアとプロくらいの差があった、と言っては言い過ぎだろうけれど、そのくらいの貫祿の違いがあった。
そんな訳で、クローバーは元々巧いんだけれど、どうせなら、日本のカルテット的な「まとまり」とか、「辻褄合わせ」の巧さではなくて(今までは私も、クローバーを割とそういう目で見ていたところはあったが)、そういうものを超えた、もっと高い次元へと進んでくれたら、面白い。

終演後、今般新しく出たCDのサイン会の行列に並びながら、通りがかるいろいろな方々に挨拶や会釈。
東京文化会館小ホールのロビーというこの由緒ある場所で、この「サックス人全員集合」という雰囲気も、久しぶりといえばとても久しぶり。

CD - Precious
クローバー・サクソフォン・クヮルテット「プレシャス」(King Records)

聴いてみると、やはり。
シュミットが、圧巻!
デザンクロは勿論巧いけれど、シュミットに比べればある意味「普通の」巧さだ。
この2曲の前に、サンジュレーが入って、後にアンコールのようにバッハの「アリア」という、シンプル極まりない潔い曲目・構成。
今の時代にメジャーな版元から出るCDとしては、よくこの曲目で通ったなあ、と、ちょっと感心する。

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