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2010.12.21

自分を変える

「ぶらあぼ」に連載の廻由美子さん(ピアニスト)のエッセイ、「メグリンのHappy Tune」を読まれている方は、どのくらいいらっしゃるだろうか。
「ぶらあぼ」という雑誌は基本的にリスナーのための媒体だけれども、このエッセイだけはプレイヤー(演奏者)側の人も読んだ方が良いと思っている。
今号もまた、毎度ながら鋭い。そして、奥が深い。

難しい楽譜をさらっていると、楽譜が憎たらしく思えてくることがある。
特にバロックの曲とかだと、「お前こんなのも吹けないのかよヘタクソ」、と楽譜に言われてるような気がしてきたり。

廻さんのようなプロの方とシロートの私とでは勿論、レベルが違うだろうけれど、それでも
「『何をやっても楽譜は変わらないのだから、こっちが変わるしかないわけだなあ~』と当り前のことにやっと気づき、ガックリしながらジミな練習にとりかかることになる。」
というところは、正にそのとおりで。

ある曲を吹く、というのは、「その曲を吹ける自分になる」、ということだ。
「それを吹ける自分」を、自分自身にインストールする、と言った人もいたけれど、同じこと。
意志の問題なのですね。
練習とは積み重ねだけれど、最後の仕上げには、一種の、「跳ぶ」ということが必要。
跳んだことのない距離や高さを跳ぶのは誰でも怖いけれど、飛ばない限り「そこ」へは行けない、となったら、覚悟を決めて跳ぶしかない。
こじんまりと完成したちっぽけな自分、などというものにこだわったり可愛がっていたら、変わることはできない。

今年の私の「本番」は全て終わってしまったけれど、自分は今年はたしてどれだけ「跳んだ」のか?
その場でジャンプだけして、自己満足で終わってなかったか?

…件の廻さんのエッセイの最後を読むと、プロの方でも気持ち的には似たようなところがあるようで、ちょっとホッとするけれど。

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