「夏の夜」…久々の東フィル、プラッソン
東京フィルハーモニー交響楽団 第789回定期演奏会(サントリーホール)
ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
同 /歌曲集「夏の夜」(MS:加納悦子)
同 /幻想交響曲
指揮:ミシェル・プラッソン
(コンサートマスター:荒井英治)
東京フィルの定期は久しぶり。
なんと2年ぶりだった。去年はまるまる聴いていないことになる。
主催公演でなければ、「ブラジル風バッハ」全曲演奏会という凄いのがあったけど。
指揮はミシェル・プラッソン。
フランス音楽のAmbassadorとして、もと手兵のトゥールーズ国立管とともに録音では昔から親しんできた人だ。
ドビュッシーやラヴェルといった定番は勿論、フォーレとシャブリエの管弦楽曲集成やビゼー「アルルの女」原典版といったこの人ならではのレパートリー、更にはマニャールやロパルツ、アンリ・ソーゲといった珍品に至るまで、この四半世紀以上、これほどお世話になった指揮者はいないと言ってもいい。
実演では、数年前のパリ管、10年近く前のトゥールーズ管とのラヴェル全曲演奏会、15年以上前のN響への客演(トゥールーズ管とのCDとそっくりの素朴な弦の音がN響から聞こえてきて驚いた)などが印象深い。
そんなプラッソンも、はや77歳。
酔っぱらったような足取りでゆっくりとステージに登場、いかにもフランス人の爺さんといった風情を醸しだしている。
棒はかなりにアバウトで雰囲気一発、あまりあれこれと考えた跡を見せない。同じフランス系でもフルネやデュトワのような厳格なソルフェージュを要求するタイプとはずいぶん違う。
かといってふらふらと逡巡することはなく、音楽性自体はかなりストレートな方かも。
私たち東洋の一般人が漠然と感じる類の「フランス的」「ラテン的」なるものにとても近しい人だと思う。
冒頭の「ローマの謝肉祭」からもう、日本のオーケストラからこんなに明るく輝かしい音が出てきたのは聴いたことがない、という音が炸裂。
2曲めの「夏の夜」。暑苦しい日本の熱帯夜とは違う(苦笑)、大気の融け入るようなヨーロッパの初夏の香り(知らないけど(^^;)がする。
ソリストは林美智子さんが予告されていたけれど、体調不良とのことで急遽変更された。
プログラム冊子等はそのままだったので、かなりぎりぎりでの代役だった模様。それにしては手の内に入った歌唱だったのは幸いだったけれど、声がフランス歌曲というよりはオペラで、やっぱりみっちゃん聴きたかったなあ。
休憩後の「幻想」。とても自在でテンポの幅の広い演奏。急発進急減速の嵐。
オケはかなり苦労したんじゃないかと思うけれど、それでも説得力を持って最後まで弛緩せず運んで行ったのは(5楽章速っ!)さすが。
大喝采に応えて、(定期公演では)珍しくもアンコール。
ビゼーのアルルの女より「アダージェット」。
「幻想」で火照った会場の空気をゆっくりと鎮めるような、ひそやかな弦の音に感じ入る。
数年前に自分のいた吹奏楽団で「アルルの女」を演奏したことがあって、私が木管分奏の下振りとかもしたんだけど、この「アダージェット」がとても振るのが難しかったことを思い出した。
ちょっとでも力入っちゃうと駄目なんだよね。
プラッソンの指揮を見ていると、何も考えずにへらへらーと振っているようで、その実みごとな「脱力」加減に、改めて感嘆。
「脱力」は、指揮法の基本です(自分で実践するとなると、やっぱり難しいが)。
「アルルの女」は、さすがやはりプラッソン師のメイン・レパートリーだなあ、と実感する。
ところで、最近気がついたのだが、Plassonの表記はプラッソンじゃなくて「プラソン」で良いような気がする。
フランス語の発音原則では、sが語中で単独で出てくると濁るが(例:Desenclosデザンクロ)、ssと並んで出てくると濁らない、というだけだからだ(促音という意味は特にないはず)。
Massenetはマスネであって「マッスネ」ではないですね。メシアンMessiaenも然り。
まあ、30年近く「プラッソン」で慣れちゃったから、今更いいんですけど。
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