おそれいりました、小泉さん
東京都交響楽団 第699回定期演奏会(東京文化会館)
ベルリオーズ/序曲「海賊」
グラズノフ/ヴァイオリン協奏曲(Vn:ジェニファー・ギルバート)
ニールセン/交響曲第4番「不滅」
指揮:小泉和裕
(コンサートマスター:矢部達哉)
物凄い演奏だった。
ある意味、先日のインバルよりも凄い。
小泉=都響のおそるべきポテンシャルの真の姿を「初めて」見た、と思った。
まず、アンサンブルが冷厳なまでに正確でかつ立体的。
しかも、これだけきっちり弾いているのに、一瞬も守りに入らない、怒濤のような攻めの推進力。
そして、ストレスの一切ない音楽の運び。予備運動なしで瞬時に100%の炸裂、みたいなイメージ。
こういう音楽をやった指揮者って、(良い時の)チョン・ミョンフンくらいしか私は知らない。
最初の序曲「海賊」からして、ワタシゃびっくり仰天だったんだけど、客席の反応は思いのほか普通だった。
きっと、あまりにも突然に物凄いものが通り過ぎて行ったので、今のは何だったんだ、という感じで茫然としていたんだろうと思う。
なにしろ踏切で電車を待っていたら、いきなり新幹線のぞみが300km/hで通過して行ったようなもんだったから。
メインプロのニールセンの後は、これはもう大変なブラヴォーの嵐だった。
確かに小泉さんの近年の外れの無さと円熟ぶりは、今までもいつも感心していたことではあるけれど、今日はホント、それどころじゃなかった。
というか、私は今まで何を聴いていたんだろうか。
今でも小泉さんって、一般的な認識では普通に「オーソドックスな」「実力派」で、日本の指揮者としては中堅からベテランに入りかけたところで、どっちかというと地味な存在でしょ。
今月の都響のように、Aプロが小泉さんでBプロが大野さんだったら、Bプロの方が真っ先に売り切れる、みたいに。(私はBプロには行けなかった)
でも、音楽だの人間だのというのは一瞬も留まらないものなのだから、いざ聴いてどんなとんでもないことが起こるかは聴いてみないと分らない、ということを今日はつくづく実感した。
先日聴いた尾高さん(N響)の、やはり予想外の素晴らしさを思い出した。
それにしても小泉さんの都響への出番が今季これ1回だけというのは、実に勿体ない。
尾高さん(札響)、秋山さん(九州響、広島響)、井上ミッキー(OEK)、そして小泉さん(大阪センチュリー)という具合に、円熟と「化け」の時を迎えつつある1940年代生まれの指揮者たちはどうやら、東京よりも地方のオケの育成に忙しいらしい。
あっ、中プロのグラズノフ。
ソリストのジェニファー・ギルバート嬢は、フランス国立リヨン管のコンマス。アラン(指揮者、ニューヨークフィル音楽監督)の妹だそうだ。
演奏は巧かったけれど、こういうコンチェルトのソロというのは、世界的なソリストの方々と聴き比べられちゃうのが非情だなあ、とは思う。
私だって、グラズノフのヴァイオリン協奏曲は大好きな曲で、実演で聴いた樫本大進君やギル・シャハムの演奏がデフォルトになってる位だから。
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