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2010.03.06

告別とテネブレ

liaison, 100305リエゾン・サクソフォン・アンサンブル 第2回定期演奏会(Hakuju Hall)

ハイドン(野原武伸編)/交響曲第45番「告別」
T.エスケッシュ/テネブレの歌(S.Sax独奏:原博巳)
シベリウス(野原武伸編)/悲しきワルツ
レスピーギ(野村秀樹編)/リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲
 指揮:家田厚志

ハイドンの「告別」とエスケッシュのLe chant des tenebresを一緒にとり上げるという高度な音楽的洒落に唸らされた。
偶然とは思えないのだが、発案者は誰だろう?野原さん?指揮者の家田さんかな?
曲目解説にも全く触れられていなかったし、ひょっとして誰も気付いていないかもしれないので、そのことについて説明しましょう。

tenebres(実際にはeにアクサンやら何やら色々付いている)とは、辞書を引けば確かに「暗黒」とか「暗闇」という意味が載っているけれど(プログラムでは「暗黒の歌」という、誤解を招きそうな直訳題になっていた)、キリスト教圏の人にとっては「テネブレ」といえば、カトリック教会で復活祭の前の3日間(聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日)の深夜に行なわれる礼拝である「暗闇の朝課」を指す、ということはおそらく常識である。

「朝課」と言いながら夜明け前の深夜に行なわれるこの礼拝式のために書かれた音楽として、F.クープランやM.A.シャルパンティエ、ドラランドの「ルソン・ド・テネブレ」があり、一度の礼拝で3曲×3回の計9回歌われる応唱のために、ルネサンスの時代からジェズアルドやビクトリアの「聖週間の応唱集」といった音楽が作られている(20世紀のF.プーランクも、「テネブレの7つの応唱」という合唱曲を作曲している)ことは、古楽や宗教音楽に関心のある方ならご存じだろう。

エスケッシュという作曲家は教会のオルガニストでもあるから、以上のことは当然の常識という上で、この悲痛なソプラノ・サクソフォンのための協奏曲に「テネブレの歌(ル・シャン・ド・テネブレ)」という題を付けているはずである。

テネブレ(暗闇の朝課)の式次第では、聖書朗唱や応唱を1曲歌い終わる毎に、13本灯されたろうそくの火を1本ずつ吹き消してゆき、最終的に式場は暗闇に包まれて終わるという。
13本のろうそくはキリストと12使徒を、暗闇はキリストの死を象徴する。

これって、ハイドンの「告別」の終楽章、楽員がひとりずつ演奏をやめて譜面灯(ハイドンの時代にはろうそく)を消して立ち去っていく、という演出と同じだ。
私が唸ったのはそこです。

どうしてハイドン?しかも冒頭から「告別」?と頭をひねった方もいらっしゃると思うけれど、そういう繋がりがあるわけ。

ハイドンが「告別」の初演でおこなったこの演出は、「エステルハージ公の離宮で予定よりも長い単身赴任を強いられていた楽団員の不満を代弁した」(本日の曲目解説より引用)ものだそうだが、譜面灯を1本ずつ消して退場することがなぜそういう意味になるのか、考えてみると不思議でしょ。
でもこれは以上のことを了解すれば不思議でも何でもなくて、ハイドンの主人エステルハージ公も当然キリスト教徒だから、この行為が「テネブレの祈り」を暗示するということはすぐに察知したはずだ。
即ち、「私たちは磔刑にされる前後のキリストのような苦難の下にいます」という意味の、言葉によらないメッセージとして、送り手と受け手の間に共有される。

「告別」の初演を見た(聴いた)エステルハージ公は、即日楽団員たちに休暇を与えて帰郷させたという。

エスケッシュが「亡き友人の思い出に」(同じく曲目解説より)、「テネブレの歌」と題する曲を書いたこと、ハイドンの「告別」と同時にそれを演奏することには、キリスト教的世界観に基づくこれだけのバックグラウンドがあるということ。
演る方も聴く方も、そういうバックグラウンドをもう少し知っておいたほうがいいんじゃないの?とは思う。
(ちょっと考え直したので補足。聴く方は特に知っていなければならない必要はない。だけど、演る方は必ず知っていて然るべき。)
私たちにとってはキリスト教というのはある意味縁遠い世界だけれど、そもそも音楽とは単に音の並びだけで出来ているのではなくて、それを作った人の人間性や思想、作られた時代の社会や文化をきちんと反映してこその芸術なのだから。

だからさ、辞書だけ引いてとりあえず「暗黒の歌」、なんて訳題付けてるだけじゃ、ダメなのよ。

…話が長くなってしまったので、簡単に演奏会の感想など。
演奏自体はエスケッシュの作品が一番の聴き物だった、ということは予想どおり。
鬼神のような原さんのソロともども、ひとつの「世界」を打ち立てていましたね。
次はレスピーギかな。
この曲はサクソフォンのアンサンブル(四重奏からラージまで)でもよく演奏されるけれど、やはり、それっぽい響きが作りやすい曲なんだな、ということがよく分かる。頻繁にとり上げられるのも伊達じゃない、というか。

去年の第1回の演奏会を聴いた時には、メンバーの中でも「アンサンブル」に対する姿勢に温度差があるなあ、と感じたものだったけれど、その印象は今回も少しあったのは、ちょっと残念。

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