2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

« マリさんの「アルル」 | トップページ | 下野都響ラヴェル »

2010.01.31

武藤賢一郎…生ける伝説

Ken-ichiro Muto, 100130武藤賢一郎 サロンコンサート(アーティストサロンDolce)

A.カプレ/レジェンド
B.ハイデン/ソナタ
F.ファルカッシュ/ルーマニア民族舞曲
L.ロベール/カデンツァ
J.ノーレ/フリッソン
C.ヘーネ/スラヴ幻想曲
 武藤賢一郎(A.Sax)、野原みどり(Pf)

「サロンコンサート」と呼べるのは百席ちょっとの会場だけで、中身は堂々たる本格リサイタル。
久方ぶりに、「武藤賢一郎」が私たちの前に姿を現した。

圧倒的な印象。
音を出しているのはたしかに舞台中央の武藤氏一人なのだが、音はまるで四方の壁という壁からすべて発してこちらに向かってくるかのようだ。
ここの備え付けの小さなグランドピアノからこんな音が出たの聴いたことない、という野原さんのピアノともども、この小さな会場には到底収まりきらないスケールだった。
単に音量が大きいだけではなく、それを受け止めるこちらの耳、感性や度量までも、日常的なレベルではありえないような広大なキャパシティを要求されるかのように。
なんというポテンシャル。なんという堅固さ。
呆気にとられているうちに、プログラムはどんどん進む。気がついたら終わっていた。
終わってみたらなんだか、あっという間の出来事のように思えた。会場の内と外で、違う時間が流れていたのかと思った。
細かなことはよく覚えていない。というか、そんなことはどうでもいい。

武藤氏の公式のリサイタルは近年数少ない。
前回は2003年の1月だったし、その前といったら1992年の12月まで溯る。
しかし武藤氏はその稀少な機会の度に、「伝説的」といっていい巨大さと存在感を以て私たちの前に現れた。
実のところ、武藤氏の音の質は、1982年に録音されたデビューアルバム「武藤賢一郎サクソフォーン・リサイタル」(初出はLPレコードだった)から、基本的に変わっていない。
というか、実演を聴いたあとにこの録音を聴いてみると、今日耳にしたばかりものが既に「ここ」にあることに改めて気付くのである。
音楽と奏法に対するこのように強固で厳格な自己規定を、デビュー以来30年も持続させていることに、好き嫌いは別にして私は敬意を表する。
そこには多分、師であるデファイエが君臨していた一時代前のフランス音楽界の空気から(カラヤン=ベルリンフィルの代役を武藤氏に頼んだ時、デファイエは「僕の代りが務まるのは君しかいないから」、と言ったんだそうだ)、その後現代に至るサクソフォンの演奏やスタイルの進歩や変遷までも、見透かしたかのように皆、入っている。
マルセル・プルーストが言ったという、「人生の折々において、我々は常に自分自身の子孫である」という言葉を思い出す。
そう、「武藤賢一郎」とは、サクソフォンの(少なくとも日本のサクソフォン界の)「モダン」と「ポストモダン」を貫く、ほとんど唯一の存在に思えるのである。
今日この場に身を置くことができたことに、感謝したい。

…最後は「やっとプログラムの最後に辿り着きました、繁盛している寿司屋と一緒でもうネタがありません」(笑)
などと言いつつも、アンコールを3曲も。
グラズノフの「吟遊詩人の歌」、イトゥラルデ「ギリシャ組曲」、ピアソラ「オブリビオン」。
なんとも「重厚」なイトゥラルデが、印象的だった。

お客さんは、学生さんと思われる若い人が多かった。
三藤の会(以前定期的に開かれていた、武藤賢一郎・工藤重典・藤井一興というパリ音楽院同窓の各氏によるジョイントコンサート。今もやっているのか?)となると客席に溢れ返るオバサン軍団は、今日はほぼ皆無。
この若い人たち、卒業したあとどうするんだろうな。
私が感じているような「感慨」を理解できるような時まで、サクソフォンを、音楽を続けていてくれるといいんだけど。

« マリさんの「アルル」 | トップページ | 下野都響ラヴェル »

コンサート(2010年)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« マリさんの「アルル」 | トップページ | 下野都響ラヴェル »