「フランスの風」に吹かれて
レ・ヴァン・フランセ 日本公演(東京オペラシティ・コンサートホール)
マルティヌー/六重奏曲
ラヴェル(M.ジョーンズ編)/クープランの墓
カプレ/フルート、オーボエ、クラリネット、バソンとピアノのための五重奏曲
ライネッケ/オーボエ、ホルンとピアノのための三重奏曲
サン=サーンス/タランテラ(Fl、Cl、Pfのための)
プーランク/六重奏曲
Fl:エマニュエル・パユ
Ob:フランソワ・ルルー
Cl:ポール・メイエ
Hn:ラドヴァン・ヴラトコヴィチ
Bn:ジルベール・オダン
Pf:エリック・ル・サージュ
世界管楽器界のスーパースター集団、Les vents français。
今回も聴くことができた。
毎度思うのだが、これだけのメンツがよくスケジュール合わせて集まるよなあ。
オペラシティはほぼ満席の華やぎ。
いかにも管楽器やってます、という趣の若い人が多い。
テクニックはもう唖然とするばかりに完璧だけれど(どこもかしこもそうだけれど、例えばライネッケの2楽章の16分音符のかけ合いのさりげない完全さにはゾッとした。あんなふうにできるもんじゃない)、それだけではない。
この人たちは、音質に(音色ではなく)きわめて高い共通性がある。
(フランスの)オーケストラの世界ではもしかしたらもう過去のものになってしまったかもしれない、実にフランス的な伝統に根差した感覚の輝きと呼吸と音色と起伏があるけれど(「クープランの墓」には、もしかしたらラヴェル自身のオーケストレーションをも超えたかとも思うほどの高みに達した一瞬があった)、勿論それだけでもない。
彼らの音楽は、一から十までが、「自由」だ。
ただひたすら、自発的で瞬発的な「音楽」の営為として、そこにある。
「練習」なんか、しないんだろうな。
勿論リハーサルはするだろうけれど、私たちのする「練習」とは、たぶん地球人と宇宙人みたいに違う感覚のものなんだろう。
彼らのオハコ(来日のたびに聴いている気がする)のプーランク、そしてアンコールの3つの小品(イベール)の1楽章なんか、ほとんど「悪ふざけ」の世界。
でも演奏は完璧。…
どうでもいいけど、イベールには「木管五重奏のための3つの小品」と、「木管三重奏のための5つの小品」という作品があるんですね。
別にそれだけです(オチはありません)。
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