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2009.07.30

明日のほうへ

vers demain

ヴェル・ドゥマン-明日のほうへ 彦坂眞一郎(Sax)

彦坂さんの一番新しいCD。
といっても、発売からもう4ヶ月近く経っている。
最近はCD情報からもすっかり疎くなってしまい、まだ聴いていなかったところ、先日のアプリコでの本番の舞台裏でサイン入りCDの即売会が催され(笑)、ようやく入手したのだ。

「親から子へ向ける想い」という、とてもはっきりしたコンセプトに基づくアルバム。
佐橋俊彦、本多俊之、長生淳という3人の新作に、マーラーの歌曲、ウォルトンの映画音楽、フィル・ウッズ、ミルトン・ナシメントまでが配され、音楽の「ジャンル」を超えたこの構成。
美しい曲たちです、実に。
お勉強のように演奏され、お勉強のように聴かれる、ありがちなサックスのCDとは対極にあると言ってもいい。

正直なところ、聴いていて最初のうち軽い違和感を感じたのは事実。
特に冒頭の佐橋さんの曲が、あまりにもお洒落で美しすぎて。
「親と子の関係って、こんなにキレイごとか?」と。
でも、聴き進むうちに、これでいいのだ、と思うようになってきた。

「親子」とは、この世の中にあるあらゆる関係性の中で、ほとんど唯一の「絶対」、である。
友情も、愛情も、すべてはうつろいゆく無常のものだし、国家だって、神だって、それを信じない人の前では無力でしかない。
だけど、私は「誰か」の子どもである、その「誰か」=親、がいたからこそ私はここに存在している、という事実だけは、どうあっても消しようがない。

私には子供がいないので、親の気持ちというのははっきり言ってよく分からない。
ただ、親と子、ということに関しては、考えさせられることは多い。
私事だけれど、私の父は、家から往復5時間以上かかる東京郊外の病院のベッドで、ほぼ寝たきりの生活をしている。
毎週会いには行っているけれど、会話なんかもう殆どできないし、そもそも私が誰なのか判っているかどうかすら怪しい。
もっとも、元気だった頃から、父と長い時間ちゃんと話をしたことなんか、思い出す限りほとんどなかったけれど。
中学生の時からずっと続けていた、学校の吹奏楽部その他での私の演奏を、父は一度たりとも聴きに来てはくれなかった。
「オレには芸術は判らんから」、と言って。
19年前に死んだ母は、いつも欠かさず来てくれていたけれど。
そんなふうに、言葉によってもそうでなくても、コミュニケーションなどほぼ絶望的に成立しなくなってしまった中で、何をする、行って何になるという訳でもないのに、毎週毎週5時間もかけて病院に通う(その他、呼び出されて行くこともよくある)のはいったい何のためだろう、と時々考える。
「何のため」、という考え方自体が間違いなのだろう。
「それ」しか出来ないし、「それ」しかやりようは無いからだ。
たとえ誰にも知られず、誰からも忘れられ、何のためにもならなくても。
親、というのは、そのくらいに絶対的なものだ。

…ある意味、究極の「キレイごと」、でしょ。
こういうレベルの「キレイごと」を表現するには、もはや、小賢しくリアリティを持たそうとしても無理で、有無を言わさず「キレイ」であるほかないのだろう。

「親子」や「家族」というものを、倫理や情緒の方向からではなく、実体的なアプローチで表現した音楽作品というのは、決して多くない。
武満徹の『系図』という曲は、そんな数少ない作品のひとつだけれど(この曲については、以前にも当ブログに書いたことがある)、これは武満の数多い作品の中でも例外的なほどに調性感を備えた、まるでドビュッシーの初期のような美しい音楽である。
そのようなアプローチをとる以上、この曲はそうなるほか無かったのだろうし、実際に作曲者もそのように言っている。

…そんなわけで(いったいどんなわけだ)、この「ヴェル・ドゥマン」というCD。
全体を通して、彦坂さんが好きだという「夕暮れ色」に染められた、なんとも素敵なアルバムである。
子供の頃、夕暮れ時に外を歩いていると、自分の影がものすごく長く伸びることがとても不思議だった。
昭和40年代の東京都下は、まだまだ高いビルもマンションも少なく、低い家々の間に赤い太陽が沈んでいたのだ。
そういえばあんな長い影は久しく見ていないなあ。
そんな気持ちで、殊更に親子の絆だのなんだのということは考えずに、ゆったりと聴くのがよいと思う。

LPレコードで聴きたいな、ともちょっと思った。
トラック6の"Touch her soft lips and part"(原曲には「やさしき唇にふれて、別れなん」という訳題がある)が終わったところで、なぜか知らん針を上げて(死語だなあ)、レコードを裏返したい気分になる。
ジャケットの手のシルエットは実際に彦坂さんと息子さんの手だそうだが、LPレコードサイズだったら実物大で行けるだろう。

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