恩師とバリトンサックス
オランダのアムステルダム在住で、笙とサクソフォンの奏者&作曲家として活躍中のS藤さんが一時帰国、バリトンサックスを借りに我が家に現れた。
26日朝の練習で使う予定のバリトンを、このタイミングで貸し出すというのもなかなか大変だけど、ほかならぬS藤さんの頼み、しかも私たちの共通の恩師、N澤先生の退官祝いの席での演奏に使うとあらば、これはもう喜んで、ってところ。
N澤先生は、私が中学校に入った時の音楽の先生で、吹奏楽部の顧問だった方だ。
たしかその時点で、新卒採用2年めくらいだったと思う。(それから35年経って定年退職だったら、ほぼ計算が合う)
どんなふうに「恩師」かというと、2年生になってから何も分からぬまま吹奏楽部に途中入部した私に、「じゃあ、君は、テナーサックスをやってくれ」と言った方である。
それで私は今、サクソフォンを吹いているのである。
これを「恩師」と呼ばずして何と呼ぼうぞ。
私が3年生になった時にN澤先生は次の任地に異動され、そこの中学校でもまた吹奏楽部を立ち上げ、11年後に新入生のS藤さんを迎えることになる。
S藤さんとは、彼女が高校1・2年生だった2年間、一緒にサクソフォンカルテットを組んで活動したものだった。
一緒に吹いていたのがたったの2年間だったとは信じられないくらい、濃密で充実した時間を過ごしましたよ。
私はアルトを吹いていたけれど、私のバリトンサックスはずっとメンバーに貸し出しっぱなしで、練習・本番の毎に使われていた。
当時は、セルマーのバリトンを個人所有しているアマチュアなんて、まだまだ少なかった(1984年に私がこの楽器を買った時点では、それこそ「皆無」、と言ってよかった)。
このときバリトンを吹いていた仲間のことを書き始めるとまた、長くなるので、今回はやめておく。
S藤さんは3年生になって、音大受験準備に専念するためこのカルテットを辞めたけれど、それからさらに十数年が経ち、海外在住の立派な中堅のプロとなった今、再びあのときと同じ楽器をこんどはS藤さん本人に貸すというのは、なんだか言葉ではうまく言い表せないような不思議な巡り合わせを感じる。
お土産に、stroopwafelsというオランダのお菓子をいただく。
クッキーみたいに見えるけれど、食べてみると意外なことに柔らかくて「ぐにゃっ」、とするんですね。
そういうものらしい。
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