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2009.07.04

スピリタス&ドワジー

Alexandre Doisy, Quartet Spiritusアレクサンドル・ドワジー(Sax)×カルテット・スピリタス(浜離宮朝日ホール)

ドビュッシー(加藤昌則編)/牧神の午後への前奏曲(AD、QS、Pf)
A.デザンクロ/サクソフォン四重奏曲(QS)
F.シュミット/サクソフォン四重奏曲Op.102(QS)
F.シュミット/伝説Op.66(AD、Pf)
A.デザンクロ/プレリュード、カデンツァとフィナーレ(AD、Pf)
ミヨー/スカラムーシュ(AD、Pf)
ヴィヴァルディ(内田祥子編)/『四季』より「夏」(AD、QS、Pf)
 Sax:アレクサンドル・ドワジー(AD)、カルテット・スピリタス(QS)、Pf:森相佳子

木曜日(2日)のこと。
この初夏の、サックス界話題のコンサートをきく。
プロ、アマチュア、学生さん、老若男女問わず全員集合、みたいな客席の賑わいが、楽しい。
この雰囲気は去年のフルモー以来かな。

まだそれほど聴き慣れないカルテットの実演を、しかもデザンクロとシュミットを立て続けに聴くというのは、聴くほうとしても体力が要る。
今日は自分のほうに体力がちょいと不足していて、きついだろうとは予測していたけれど、最近の若手カルテットに共通する傾向で、巡航速度を最大出力の5-6割で運ぶ余裕ある仕様だったおかげで、なんとか楽しんで聴くことができた。
ひとむかし前のカルテットみたいに、本番の巡航速度が最大出力の8割くらいを行っていたら、聴いていて間違いなくオーバーフローしていただろう。
ちなみに、本番の巡航速度が最大出力の10割を超えてしまう団体というのもあって、そういう団体のことを「アマチュア」と呼びます(苦笑)

技術的にはもう、突っ込みどころ皆無。
とても「ニュートラル」な演奏だ。
ニュートラル、だということは、逆に言うとちょっとの手加減や意図次第ですぐにいろいろな方向に行けるということ。
東さんのバリトンの音が全体のサウンドのキーになっている感じがしたけれど、例えばときたま波多江さんのアルトにすごく「懐かしい」響きがする一瞬があって、そういうときにカルテット全体の響きがふっと「80年代の香り」を帯びるときがある。
また、最初と最後の曲では、ドワジー氏がソプラノで加わった双頭クインテット+ピアノの編成だったけれど、そのときにはカルテット単体にもドワジー氏のソロにもない、海の底のような独特の青みがかった色彩を感じる音色が立ち現れてくるのが興味深かった。

2部最初はドワジー氏のソロ。
初来日(2001年、20歳!)のリサイタルで、シューマンやグリーグのアレンジ物を聴いたときには、今までどんなサックス吹きも成し得なかった独特の感興があって、コイツ天才だ!と驚嘆したのを昨日のことのように思い出す。
今日はオリジナル曲ばかりだったので、印象はちょっと異なるけれど、…やっぱり天才であることには間違いない。
先程、最大出力と巡航速度、という例えを出したけれど、彼の演奏にはそんな比喩は意味がないですね。
吹いた端から、吹いただけ音楽になってしまうという、それだけ。
しかも、安っぽいドラマ性とも無縁な、一から十まで、「音楽」だけ。
大変なもんです。

20010323ちなみに、初来日時のチラシ。

…ち、ちょっと、太ったんじゃないすか?(笑)

この時には「ドワシー」という表記だった。
その方が響きがいいからと、プロモーターが勝手に変えてしまったらしい。
人の名前をそういうことしちゃいかんでしょう。

アンコールに、スピリタスはお得意の「燃えよドラゴン」。大喝采。
ドワジー氏はフォーレの「夢のあとに」、そして「浜辺の歌」。
「浜辺の歌」ってフォーレの作曲だったっけ?と勘違いしてしまいそうな雰囲気だった。

(追伸)NHKのカメラが会場に入っていた。

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コンサート(2009年)」カテゴリの記事

コメント

あーこれ行きたかったんですよね。
レポありがとうございます!
フォーレ風浜辺の歌www

ソウなんだよね、6/8の曲って。

僕もフルモー先生の演奏で浜辺の歌を聞いたとき、「あ、これって6/8だったんだ」とか思っちゃいました。どうしても僕らは歌詞に縛られた演奏になっちゃうみたいです。

コメントありがとうございました。

初期のフォーレには6/8の歌曲がたくさんありますよね。例えば「ある僧院の廃墟で」という歌曲なんか、すごくそれっぽい雰囲気なんですよ。
フランス人が「浜辺の歌」というメロディに共感するのって、そういうところなのかもしれません。

ところで、フルモーの「浜辺の歌」、と聞いて思い出して、ひとつ小ネタをupしてみました。

私も聞きました。
ちょっと物足りないところもありましたが、良かったです。

なんだかあまり体調がよろしくなさそうですが大丈夫ですか?
体調を整えて、これからも面白い記事を書いて下さいね。

>てれすこ様

ありがとうございます。
こんなふうに、率直にねぎらいの言葉をかけてくださる方というのはネット上にはあまりいらっしゃらないもので(笑)、感激です。

「物足りない」、というのは、おっしゃりたいことはなんとなく分かります。
ドワジー君にしても、8年前に比べたら「普通」に近い印象でしたが、今回はオリジナルばかりだったからかなあ。基本的に派手な演奏をする人ではありませんし、考えてみたら8年前といえば私にとってはハバネラを知る前ですよ。当時は、パリ音楽院系の若手バリバリのプレイヤーなどまだほとんど聴いたことがなかった頃でしたから、物の見方や感じ方も今とは違うでしょうね。

それでも、一見地味な演奏をする方でも、内実が伴えば(コンクール等でも)きちんと評価されるというところは、ヨーロッパの見識を感じますけれど。

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