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2009.07.17

7月20日の本番

アプリコ 20090720以前の日記でも触れましたが、こんどの三連休の最終日に、大田区アマチュア音楽祭の中の「アプリコ・ミュージックアカデミー・ウィンズ」という一発バンドの本番に参加します。
斯界の大御所・秋山紀夫先生、初期の頃の「音の輪」以来久々の再会となるコンミスの秋山かえで先生、サクソフォンの講師として毎回の練習にフル参加してくださっている彦坂さんをはじめとする方々と共に、充実したリハーサルを続けているところ。

今回はプログラム的にはそれほど「アカデミック」ではなく、フツーの吹奏楽に近いけれど、それでもホルストの第1組曲やグレインジャーの「子供のマーチ」から、ニュー・サウンズの「ジャパニーズ・グラフィティIX~いい日旅立ち」にまで至る多様な曲目を、疑いもなく「『日本の吹奏楽』をつくりあげた人物」のひとりである巨匠・秋山紀夫先生の指揮で演奏するというのは、このうえなく貴重で心躍る経験となるでしょう。

さて、ここからは、少し遠慮のない話。

ぶっちゃけた話、大田区の吹奏楽のレベルというのは(「レベル」という言葉は好きじゃないが)、あんまり高くはない。
吹奏楽の団体数は多いし、区の吹奏楽祭は終戦直後から60年近い歴史があるし、きわめて珍しいことに区独自の吹連も存在するし、一見吹奏楽が盛んなように見えるんだけど(たしかに盛んなんだけど)、それぞれの団体はある意味自分たちだけで勝手にやっていて、いまどきの余所の「吹奏楽が盛んな」地域に見られるような、その地域をリードするフラッグシップ的なスクールバンドや市民バンドがあって、そこに若手プロや音大生の指導者が入り込んでプレイヤーを育て、他のバンドに刺激を与え、育った彼ら(彼女たち)がまた別のバンドに入って地域文化の担い手となり、一部の人は音大に入って指導者として戻ってきたり、というようなサイクルは、無いに等しいのですね。
私は大田区の高校で育ち、東京近郊の大学で吹奏楽を続け、90年代以降は専ら神奈川の県央地区や川崎地区という、きわめて先鋭的に「吹奏楽が盛んな」地域で吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテストに係わり、たまに地元に戻る、という活動をずっと続けてきた人間なので、そのへんのことはよく判るのだ。
ときたま区の吹奏楽祭の本番を客席で聴いたりしていると、なんだか20年前、30年前にタイムスリップしたような気分になる。
このあいだの日曜(12日)は1日中練習で、終わったあとはサクソフォンセクションのメンバーで彦坂さんを囲む飲み会を挙行したのだけれど(5時半に飲み始めて終宴は10時半…サックス吹きの宴会はどこも似たようなノリですなあ)、そのときに彦坂さんも、同じような困惑の言葉を口にされていたのだった。
そういえば彦坂さんご自身も、「吹奏楽王国」千葉で育ち、高校生の時から地元の全国区の一般バンドで吹奏楽コンクールに出場されていたような方だ。

という訳で、今回このような機会に、斯界のトップに位置されるような方々が大挙してここ大田区に来られるというのは、非常に意義のある出来事である。
できうるなら、これが一過性のインパクトではなく、将来へ向けて継続していくようなものであってほしいと願う。
これまでにも何度か書いていることだけれど、文化というものは「一点豪華主義」じゃ駄目なのである。
「世界のトップ」のような1人の方の下に、「烏合の衆」がぶら下がっている、というような構図は、あまり健全なものとは思えない。
音楽というのは、初心者から超一流のプロフェッショナルまで、どんなレベルの人にもそれなりの楽しみ方というのが開かれていて、その楽しみ方を自ら探し出すこと、楽しみ方のレベルを上げていくこと自体の楽しみをも、準備されているものである。
「初心者」と「世界のトップ」の間には、世界のトップという程ではないけれど確実な演奏と的確な指導の出来る若手プロとか、音大生とか、そういった人たちと交流が出来て様々な情報や刺激を受け取っているハイ・アマチュア(老若男女・レベルはいろいろ)など、様々なステージがあり、多くの方は自分のステージを上げようと日々努力をされていて、あるステージの存在は直下のステージの方の最も手近な目標になっていたりする。
そのような多様性と柔軟性、発展性をそなえた社会こそが、健全なものだと思う。

こう言っちゃ何だが、私のこの20年の努力というのは、極言すればそのような社会の実現のためのものでしたよ。
そのような社会の中で、一アマチュア音楽家として自分の力を発揮すること、そのために自分に何が出来るかを追求してきた、と、このことは自信を持って言える。
なぜなら、これも極論すれば、なによりも自分が気持ちよく演奏したいから、ということ。
自分が気持ちよく演奏するためには、自分自身に対するのと同様に、自分の周りにいる人のパフォーマンスを上げることに対しても、不断の努力を怠らない、というのは、「合奏」(二重奏から大編成まで、とにかく他人と一緒に音楽をするという、広義の意味で)の世界で生きる人間として、当然の責務です。

本番は7月20日、15時開演。
皆様のご来場をお待ちしております。

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コメント

明日の講師演奏も20日の吹奏楽も楽しみにしています。
自治体がこれだけの規模の企画をやる例ってそう沢山はないんじゃないかな。
貴重な機会なので、楽しもうと思います。
バイオリンの初心者レッスンも申し込んじゃって、張り切っています!

アマチュアというものに対する考え方、深く納得しました。
プロの定義は自分の演奏に対する責任だと思います。

>shino様
今日はお疲れさまでした。
いよいよ始まりましたね。
是非、楽しんでください。
私も、(難しいことは書いたけど、それとこれとはまた別で)楽しみます。

>おとう様
ある意味ナマイキで物議を醸しそうな書きようでしたが、そのように仰っていただき、恐縮です。

アマチュアは自分のために演奏し、プロはお客さんのために演奏する、という言い方がありますが、これは必ずしも正しくはない、と思っています。
音楽はオーディエンスに聴いてもらってこそ意味があるのですから、自分が最高に気持ちよく、意味深く演奏したかったら、たとえアマチュアといえども、自分の演奏がお客さんにきちんと受け入れられるか、音楽行為として完結しているか、ということを考えるのは当然だからです。

であれば、究極のところ、そこに「責任」が伴うかどうかがプロとアマチュアの違いだ、という考え方は、卓見だと思います。

もしかしたら外しているかもしれませんが、そのように考えています。

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