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2009.06.28

栃尾さんの新譜

暑い1日。
3ヶ月ぶりに元・実家の近所に足を運び、行き慣れた床屋さんで髪を切ってもらう。
生まれてから40年住んでいた街。
私の父よりもちょっと歳下の床屋のおやじさんから、近所の方々の消息をいろいろ聞く。離れて7年経っても、まだまだ皆さん元気らしくて、ちょっと安心。

帰宅したら、栃尾さんの新しいCD(ソロアルバム第3弾)が届いていた。
ドルチェのK田さんが、サイン入りCDを確保してくれていたようだ。

栃尾克樹

ワルツ形式によるカプリス/栃尾克樹(B.Sax)、高橋悠治(Pf)(マイスター・ミュージック

バリトンサックスのソロCDだけれど、あんまりバリトンサックスに聞こえない、不思議なCDである。
バリトンサックスという楽器、普通は低音はもっとブリブリした音が出るものだし、中音域のドとレでは音色が変わるし(サクソフォンという楽器の弱点みたいなもので、見かけの管長が瞬時に激変するから低音楽器ほど影響は顕著に現れるのだ)、高音はもっと「しゃがれ声」になるものだが、そういったことすべてが注意深く避けられている。
私自身や、また世間一般の方々がバリトンサックスなんぞを吹くと、ついついそういう「サックスくさい」演奏をしてしまいがちである、というのは、気付かずに自然にやってしまう場合もあるし、実は自分がわざと(自発的に)そうしたいと思ってやってしまっているけれど意識のレベルではそれに思い至っていない、という場合もある(分かりにくい言い回しですみません)。
そういうのは「楽器に淫する」、というのだなあ、ということを、栃尾さんの演奏を聴くとつくづく反省させられる。

そういえば、栃尾さんのデビューアルバムが出たときに私が書いた感想文(こちら)でも、同じことを言っていることに気付いた。

高橋悠治という人のピアノも、とても不思議だ。
この人にとって、ピアノを弾くという行為の意味は、世間一般の「ピアニスト」の方々とはずいぶん違うものなのだろう。
目の前にある楽譜を、フレーズや抑揚や強弱・テンポの変化を考えながら「解釈」していく…のではなく、たくさんあり得る音の中から作曲者がたまたまその音を選ぶに至った「必然性」を、追体験してゆく、とでも言うか。
高橋悠治氏は、たまたまピアノがめちゃくちゃ上手に弾けるから(クセナキスの「ヘルマ」だったかな?何人もの「現代音楽の専門家」のピアニストが「演奏不可能」、と断った作品を、唯一「2週間練習すれば演奏可能」、と言って初演をしたのが高橋氏だった由)、そのことをピアノの鍵盤上で行うけれど、別にピアノでなければならない必然性というのは無いだろう。
この人のピアノ演奏の一種独特の素っ気なさ、同じ楽譜を楽譜どおりに弾いているだけなのに、「普通の」ピアニストの方とは全然違う音楽に聞こえることがある、という現象(このおふたりがリサイタルで演奏したシューマンの「アダージョとアレグロ」なんか、まさにそうだった)は、おそらくそこに由来する。

ということで、「楽器」を超えている、あるいは超えようとしている、という点で、このお二方には大きな共通点を感じるのである。

世間の「音楽評論家」の方々は、このCDを聴いていったい何と言うんだろうか。
楽しみだニャー

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