ハイドン・プロジェクト完結
フランス・ブリュッヘン・プロデュース
ハイドン「ロンドン・セット」全曲演奏会 第4回(すみだトリフォニーホール)
ハイドン/交響曲第102番
同 /交響曲第103番「太鼓連打」
同 /交響曲第104番「ロンドン」
新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:フランス・ブリュッヘン
本年(2009年)、ハイドンの没後200年にちなんだ在京オーケストラ中でたぶん最大の行事、ブリュッヘン指揮新日本フィルによる「ロンドン・セット」(交響曲93~104番)全曲演奏会。
当初は行く予定は無かったけれど、定期公演での「天地創造」を聴いて、これは1回くらいは聴いておかないと後で絶対後悔するだろう、と思って、この最終回、無理やり行ってきた。
行って良かった。
一陣の風のような、自然で無私のハイドン。
ブリュッヘンは言う。
(ハイドンは難しいか、という問いに)
「…そこには決められたルールがたくさんあるのです。(ヨーロッパでさえ)今日では忘れられてしまったルールが。その方法さえ分れば、全ては自ずと正しい方向へ向かいます。ハイドンの時代のオーケストラはほとんどリハーサルをしませんでした。それは当然のことで、オーケストラは常に『最新の』音楽を演奏していたのです。そして翌日になるとハイドンはまた新しい曲を書き、初見で演奏されました。しかし、『ルール』を知らなければ上手くは行かないでしょう…」
実を言うと、この談話を最初読んだときは、もっと理屈っぽい音楽を想像していた。
「ルール」とはこーゆーものである、ここはこう、そこはそうでなければならない!と見てきたような口をきく(見た人なんか誰もいないのに)、ある種のピリオド主義者のような。
いざ聴いてみたら、全然違った。
なんという作為のない、普通の(という言い方は誤解を招くかもしれないけれど)音楽だろうか。
でも、考えてみたらそういうものだ。ハイドンの時代のオーケストラは(ハイドンの時代に限らないが)、「ここはピリオド風に(○○風に)弾かなければいけない」、なんて、考えてもいなかった訳で。
弦がヴィブラートを使っていないことさえ、最初は気がつかなかった。
いや、ヴィブラートを使っていないことは最初から知っていたけど、この演奏を聴いていると、そんなことを気にするという発想自体が出てこない。
…私自身がコンサートの聴き歩きを始めたばかりの頃のような清新で純粋な気分を、十何年かぶりくらいに思い出した。
自分も「スレッカラシ」になってたなあ、と反省。
ブリュッヘンさん、ありがとう。
ハイドンは、偉大である。
ハイドンの交響曲、就中「ロンドン」は、人類史上の傑作である。
このスタイルで、この曲を上回るような充実と感動をもたらした交響曲は、ハイドン以降、誰も書いていない。と思う。
という、率直な気分のなか、2月は終わって行った。
本日の出演者。
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