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2009.03.24

インバル月間~ラヴェル

TMSO, 090323東京都交響楽団 第677回定期演奏会(サントリーホール)

ラヴェル/ピアノ協奏曲(Pf:横山幸雄)
同 /バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(合唱:晋友会合唱団)
 指揮:エリアフ・インバル

待ちくたびれたぜ、インバル。
都響プリンシパルコンダクター、エリアフ・インバル、年度始めのマーラー「千人」の凄演以来、久々の来演。
あれからもう1年近くが経つのか。

今回はラヴェル・プロ。
インバルが都響とフランス物を演るのはたぶん初めてのことで(N響だったら聴いたことがある)、興味津々で聴く。

鮮やかな色彩感、強大な音量とスケール。
2階の後ろの方で聴いていたけれど、音が大きいというより、まるでステージがそのままこちらにぐわっとにじり寄って来たような趣がある。
大きな音量の部分は勿論たいへんな迫力なんだけれど、逆に弱音の部分が、そんなに無理して抑えている感じではないのに、ものすごく小さく聞こえる。
インバルでなければ出てこない音だと思う。

コンサート1曲めがこの「ピアノ協奏曲」というのは、聴く方も大変だ。
準備なしで、いきなり音の奔流の中に突き落とされるみたいな。
でも、日本人ピアニストと日本のオーケストラによるこの曲の演奏としては、ベストフォームと言ってよかったと思う。
特に2楽章、ピアノソロと各管楽器のソロが、寄せてはかえすように明滅するあたりの立体感に、感銘を受けた。
一転して3楽章はぶっ速いし。

休憩後は「ダフニス」全曲。
勿論、インバルが音楽の隅々まで掌握した、みごとな演奏ではあったけれど、あまりに鮮やかすぎて、色彩に「滲み」がないので、「いわゆる」フランス音楽にしてはちょっとドギツ過ぎる、という不満も。
私はインバルがフランス国立管を振ったラヴェルの録音(DENON)を愛聴するものだが、これ、フランスのオーケストラだからきっとバランス良く仕上がったんだろうな。
日本のオーケストラだから、どうしても「尖った」部分ばかりが強調されてしまうというか(昔N響で聴いたときも同じことを感じた)。
まあ、でも、「ダフニス」全曲をこれだけの演奏で生で聴くというのは、ちょっとない経験ではありました。

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コメント

挨拶だけして失礼いたしたIsaacです。

P席で、インバルの目の前で、合唱に囲まれながらラヴェルのダフニスを聴くというのはちょっとできない経験で、とても楽しんでいました。

ダフニスを聴いているうちに、Primitiveという単語が浮かびました。良い意味で使っています。
ダフニスは小説を読んでみると、なんてことはない素直な話ですが、そういう素直な感覚が少し角張り過ぎな感じがしながらもはっきりと出ているという感じがしました。
「滲み」のあるラヴェルらしい音楽ももちろん好きですし、モネの絵を期待して見に行ったら、セザンヌが出てきた(この点でもPrimitiveな社会の風景な訳ですが)という感覚がなくもないですが、こういうダフニスもあるんだなと考えながら、聴いていました。

ちなみに私が初めてプロオケを自分の足で、お金払って聴きに行ったのは、デュトワ&N響で(今日のプログラム+海原の小舟)の時でした。指揮やニュアンスは全然違いますが、初めて足を運んだ新鮮な感覚をちょっと思い出しました。ここで地震が起きたなとかそういうことまで思い出しました。乱文駄文失礼いたしました。

訂正です。
セザンヌ(×)
ゴーギャン(○)
頭の中で思い浮かんでいた絵がゴーギャンなのに、セザンヌと書いていました。

お疲れさまです。
セザンヌでもゴーギャンでも、言わんとするところは何となく分かります。

この演奏は、ステージ至近で浴びるように聴いてみたら、ぜんぜん違って聞こえたんだろうな、とは思います。

この曲の並びの前に「海原の小舟」を置くというのはいかにもデュトワですね。
いきなりピアノコンチェルトというのは軽業ぽくてそれはそれで面白いですが、そんなふうに何か1曲、冒頭にあってもいいとは思いました。

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