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2008.12.13

吹奏楽の古典

無事行けた。

TKWO, 081212東京佼成ウィンドオーケストラ 第99回定期演奏会(すみだトリフォニーホール)

G.ホルスト/第2組曲
W.ベンソン/落葉
D.ミヨー/フランス組曲
A.シェーンベルク/主題と変奏Op.43a
藤田玄播/天使ミカエルの嘆き
P.A.グレインジャー/リンカンシャーの花束
 指揮:ダグラス・ボストック

TKWO前常任指揮者ダグラス・ボストックのセレクトによる、ウィンド・バンド界の真の「古典」、不朽の「マスターピース」の集成。
フェネル常任の時代のようなプログラムだ。
これぞ、「吹奏楽」である。と私なぞは思うのだが、最近はどうやらそうでもないらしい、と、空席の多い(1階にいたので上の階のことは分からないが、後方のブロックなんか閑散としてたぞ)客席を見回して、ちょっと淋しく思う。
目新しいが外面的な効果ばかり狙ったくだらない作品が幅をきかすイマドキの吹奏楽界の人間は、こういう曲や演奏会には目を向けないのかな。

演奏も良かった。最近のTKWO、とくにCDで聴く(岩井さんの作品集とか、最近エイベックスから出た課題曲集のCDとか)演奏がどうも「緩い」ものが多かったんだけど、今日はフェネルの頃のような意思と集中をそなえた方向性のある音が、少し戻ってきていたように思った。
どの曲も(ホルストもミヨーも藤田玄播も)、国籍やスタイルの違いにかかわらず実に正鵠を射た解釈であり、自信にみちた演奏に感じた。
ボストックという指揮者には改めて感心した。さすが、きちんとした仕事をする人だなあ。ただの珍し物好きとは一味も二味も違う。
TKWOも、棒の先ばかりキレイな御しやすい指揮者ではなく、こういうちゃんとした目的意識とちゃんとした「音楽」を持った指揮者と仕事を重ねてほしいと思うものだ。
ちなみにグレインジャーの3楽章は、ヴァージョンBだった(この楽章には調性の違うAB2つのヴァージョンがある。フェネルがいつもAだったので私などはAが馴染み深いけれど、サイモン・ラトルのような英国の指揮者はBを選ぶことが多いようだ)。
ベンソンの「落葉」(The Leaves Are Falling)という曲は、この中では最も馴染みのない作品だろうけれど、とても印象的な終結を持つ、静かな、スピリチュアルな音楽である。1978年にイーストマン・ウィンドアンサンブルが初来日した際にライブ録音されたレコードに収録されていたのを,覚えている人はいらっしゃいますか?

なかでも圧巻は、「主題と変奏」だった。
この曲、何度聴いても(生で聴いたのだって一度や二度ではないし、CDだって3-4種類持っているが)何を言いたいのかよく分からなくて敬遠していたのだが、今日みたいなこんなに面白い演奏は初めて聴いたと思ったし、とても美しい響きに溢れていた。
なんだ、この曲、良い曲だったんじゃん、という感想。
たぶん、今まで聴いた演奏は、演っているほうもどこが良いんだかよく分かってなかったんだろうな。

ところで、プログラム冊子の「主題と変奏」の曲目解説に、この曲が「『十二音技法』で書かれている」、とあったのにはビックリしたなあ。
シェーンベルクの「主題と変奏」といえば、この解説とは逆で、晩年のシェーンベルクの作品としては例外的に十二音技法を用いず調性で書かれた作品である、というのが一般的な認識というか了解だと思うんだけど、違うんですか?
そもそも、いったいこの曲のどこをどう聴けば十二音音楽なんだろうか。
まあいいけど。

アンコールにヴォーン=ウィリアムズの「海の歌」で、すっきりと終演。
これも生では初めて聴くような気がする(Telarcから出ていたフェネル=クリーヴランド・ウィンズのLPレコードが懐かしい)。

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コメント

吹奏楽の古典、良いですよね。
私が所属している楽団は、割と古典系もやるので楽しいです。
やはり曲に安定感というか、落ち着きがあるというか・・・

もっと取り上げられるべきだと思うんですけどね。

というか、古典というのは「やりたいから」「面白いから」やるものではなくて、つべこべ言わずにやらなきゃいけないもの、だと思うのですよ。
派手さや表面的な面白さはなくても、古典には長い時間を生き残ってきた格調の高さがあって、それが練習を重ねるうちに面白く感じるようになってくる、そのことによって演奏者の感性の幅が広がってゆく、という。

指導者がそのことをどこまで判って、どこまで本気で実践するか、というところにかかってますね。
たろーちゃんは良いバンドにいて幸せですね。

シェーンベルクの主題と変奏は、某カルト吹奏楽団でオデン屋先生の棒で吹いたけど、実に古典的で調性音楽だと思ったけどな。人間には必ず二面性(あるいは三面以上)があるので、画一的切り口で一面的に論じるのは危険ですね。シェーンベルク=十二音という断じ方は、ピカソ=ゲルニカだと思っているようなもんだにゃ。

> 目新しいが外面的な効果ばかり狙ったくだらない作品が幅をきかすイマドキの吹奏楽界の人間

これ、全くその通り。特に吹奏楽コンクールの会場で聞いていると、この手の曲ばかりに遭遇して、耳がヘンになりそうですよ。古典は「義務」ですね。

今回の曲目解説は、佼成ウィンドのライブラリアンと称する方、要はオケの事務方の人が書いたようですが、人に読ませる文章を書くんだったらもうちっと内容に正確を期していただきたいなあとは思います。
これがもし本業の音楽評論家が書いたものだったら、ワタシの書きようだって多分こんなもんじゃ済まないですよ。

>ken師
心中お察しします。
今この業界で流行っている曲のほとんどは、あと30年経ったら多分誰も覚えてないでしょうね。
その頃になってもやはり今と同じようにくだらない曲がアブクのように流行っているのだとしたら、あまりに発展性のない話だとは思います。

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