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2008.11.07

フルネ追悼(2)/「海」

Debussy, La Mer

ドビュッシー/夜想曲、交響詩「海」
 ジャン・フルネ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団・合唱団(Supraphon)

1963年の録音。
フルネ50歳、壮年期の演奏。
個人的には、私が初めて買ったフルネのレコードだった。買ったのは1978年、高校2年生の時。「チェコフィルと名指揮者たち」とかいう、1300円の廉価盤LPのシリーズの1枚だったと思う。(画像は現行CDのジャケット)
購入日は11月3日という古いメモが残っている。奇しくも、フルネ師の命日のちょうど30年前である。
偶然というにはあまりの符合に、しばし感慨。…

当時の自分は、フランス音楽というものの色々をやっと知りはじめたところで、就中ドビュッシーの「夜想曲」に格別に心惹かれていた頃だった。その当時の話は3年くらい前にもブログに書いたことがある(こちら)。
当時の最新録音だった、マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団のレコード(やはり「海」と「夜想曲」で1枚)を毎日のように聴いていたが、なぜかA面(懐かしい言い回しだ)の「海」には、B面の「夜想曲」ほどには心酔できずにいた。なんだか、「夜想曲」ほどには映像喚起力に欠けるというか、もやもやしていてハッキリ見えない、みたいな気がしたというか。
それでも解説などを読むと「海」というのはドビュッシーを代表する傑作ということらしいので、どうなんでしょ、と感じてはいたんだけど。
今にして思えば、「夜想曲」でのような典型的な印象主義のスタイルを脱して、未来を模索した「海」でのドビュッシーのあり方に、戸惑っていたんだろうと思う。

そんな頃、なぜこれを買ったのかは忘れてしまったが(フルネという指揮者が日本のオーケストラを振りに来ていたことはまだ知らなかった)、入手したフルネ指揮の「海」のレコードは、隅々までが明晰でわかりやすく、この曲に対する印象を一新したのだった。
全盛期のチェコフィルらしい強靱なアンサンブル、分厚い弦の響き、まるで東京文化会館で聴くような、残響が少なくすべてが明瞭に聞こえる録音(すべてが、フランス国立放送管のEMI録音とは対極だった)も相まって、ドビュッシーがこの曲で言わんとしたことを、やっと理解したと思った。
逆に、この演奏を聴き込んだからこそ、マルティノン指揮の「壮麗と集中」に賭けた演奏というのも、改めて理解できたのだと思う。

かなり後の話、このフルネ指揮のレコードが何度めかの再発売がされたとき、レコード芸術誌でのU野功芳氏の月評で「『海』嫌いの人に薦める名演」、みたいな言い方をされていて、なるほどなあ、と思ったことを覚えている。

今では、ドビュッシーの「海」というのは、あらゆる音楽作品の中でも最高傑作のひとつだと思っている。
マルティノンやブーレーズ、別格でアンゲルブレシュトの演奏も素晴らしいと思うけれど、私にとって最も好きな「海」の演奏は、今なおこのフルネ=チェコフィルの演奏だ。
フランス芸術の本質とは、明晰さと格調の高さである、ということを教えてくれた演奏でもある。
そのことは、のちに繰り返し聴くことになるフルネ師の実演でも、常に実感させてくれたことだ。

あ、ちなみに「夜想曲」のほうはどうかというと、実は「海」でもそうなんだけれど、60年代の東欧のオケならではのフルートをはじめとする木管の厚ぼったい音色の癖が、とくに「夜想曲」のほうでより気になって、そのことがちょっとだけ惜しい。
そこをつかまえて、この演奏を酷評する方もいらっしゃいますが、それはいくらなんでも勿体ないとは思うけれど。

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