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2008.08.05

最後の秘密

日曜日。
午前中の練習(アルト持参)にブレステイキングを持って行くのを忘れ(先々週の札幌以来テナーのケースに入っていて、積み替えるのを忘れていたのだ)、久々に普通のストラップで吹いたけれど、いやー辛かった。こんなに上半身が辛くて息が通らないのを、昔はそういうもんだと思って普通に吹いていたんだな。
午後に、結局もう1本買ってしまった。安いものではないけれど、積み替え忘れたときの困りようを考えると、仕方がない。
これは、普通の「アクセサリー」というものとは異なる次元のものだと思う。

HimitsuSaxQ午後は演奏会。

ヒミツ・サクソフォーンカルテット ファイナルコンサート(アーティストサロンDolce)

J.S.バッハ(ミューレンハルト編)/カンツォーナ
G.ピエルネ/民謡風ロンドの主題による序奏と変奏
C.サン=サーンス(エンゼル編)/「動物の謝肉祭」より 序奏とライオンの行進、亀、象、化石
J.S.バッハ(栃尾克樹編)/イタリア協奏曲
D.スカルラッティ(オーレリアSaxQ.編)/4つのソナタ
S.バーバー(ファン=デル=リンデン編)/アダージョ
P.M.デュボワ/サクソフォン四重奏曲
 ホアニ・パロップ・テクレス(S.Sax)、豊岡菜々子(A.Sax)、ノラ・ツゥ・ニーデン(T.Sax)、ラース・ニーデルシュトラーセ(B.Sax)

この団体のプロフィールはこちら(先日の投稿)をご覧ください。
海外の若いプロの室内楽団体の日本公演というと、普通はこれから未来の洋々たる音楽の世界へ乗り出していく人たちの、プロモーションとしての性格があると思うんだけど、今回みたいに初めて聴く団体の演奏会が即ち解散公演、というパターンは初めてだ。
ある種の、青春の輝かしい思い出の最後の1ページ、ということになるんだろう。
私はそういうのは嫌いじゃない。
というか、これが最後だと思えたものは、ずっと後になって思い返してみると大抵の場合、実はその後に来る(今の時点では今だ形も定かでない)もっと大きなものの始まりであって、それを真に実感するためには「今」というものをきちんと押さえておく必要があって、今日のような機会というのはその意味でとても象徴的なものなのだ。

それにしても、今日で終わりというのは本当に勿体ないと思える、目をみはるようないいカルテットだった。
冒頭のバッハから、暗譜・立奏。向かって左からB-A-T-Sという、日本ではほとんど見ない独特の並び方(バリトンのベルがすぐこちらを向いているので、響き方がとてもストレートだ)。はっきりした発音とダークな音色、殆どノン・ヴィブラートながら極めてエモーショナルで集中度の高い秘術的なアプローチは、まるで古楽奏者のそれを思わせる(そういえばオランダはいわゆるピリオド・アプローチの本場でもある)。
日本やフランスのカルテットでは聴いたことのない雰囲気だ。

この雰囲気は、師匠筋のオーレリア・サクソフォンカルテットの流儀を直截に思い出させる。
オーレリアQ.とは、かなり乱暴な言い方で説明すると、「オランダのトルヴェール・クヮルテット」に相当するサクソフォンカルテットである(勿論、内実はぜんぜん違う団体ですがね)。90年代の半ばには毎年のように聴いたものだったけれど、余程の新曲とか以外は、ラヴェルの弦楽四重奏曲のような大曲であっても必ず暗譜で、極めて高い集中のもと演奏を繰り広げていたことを鮮明に覚えている。
最近音大をサクソフォン専攻で卒業したとある方と話していて、彼女がオーレリアQ.を知らなかったことに私は軽くショックを受けたんだけど、今世紀に入ってから一度も来日していないことだし、まあ無理もないんだろうな。
それはさておき。

そのスタイルは、2曲めの「民謡風ロンド」ではほぼ完成されていたと言っていい。
やはり暗譜・立奏、非常に入念な各パート同士の受け継ぎに、ところどころのハッとするようなひそやかで純正なハーモニーがあるのだが、にもかかわらずまるで神経質でない、とても思い切りのよい自在なアンサンブルが聴けた。
こんなに純粋ですっきりした、心洗われる「民謡風ロンド」は、久々に聴いたような気がする。
あとの曲も、基本的にそういう路線を目指していたのだろうと思ったし、成功もしていたと思うけれど、やはり「民謡風ロンド」の印象は最後まで圧倒的だった。
「イタリア協奏曲」には、私自身がつい先日しまっぷー先生のレッスンで叩き込まれたようなシンプルでセッコな流儀が確かにあったし、雲井カルテットのバッハ演奏で聴けるような、出所のよく判らない深いところに根を持つ一種の精神性のようなものも感じる。
表面的には違うように見えるもろもろのことが、実は同じ根源を持つものなのかもしれない、ということを、とても考えさせられた。

繰り返しになるけれど、本当に、これで終わりというのは勿体ないよなあ。
しょうがない、この続きは、これをお読みの皆様各自がそれぞれの都合で勝手にやるように。
勿論、私もやりますよ。

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