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2008.08.27

斎藤広樹氏のコラム

8月16日に行われた九州サクソフォニストグループ熊本演奏会(ひとつ前のエントリ参照)のプログラムに、斎藤広樹氏が「サクソフォンにおける奏法の変遷と音楽」と題するコラムを寄稿されている。
実は、当日の打ち上げで、この小文に関する話題でもかなり盛り上がった訳で。
私としても、ウーム、と考え込まされてしまった内容なので、斎藤先生の許可を得てこちらで公開させていただきます。

たぶんこの文章の受け取り方は、私たちの世代の人間ともっと若い方々との間では、微妙に違うものだろうと思う。
それでも、ここに書かれていることは、意見として正しいとか間違っているとかいう以前に、極めて「当り前」のことでもある。
そんな「当り前のこと」を見聞して、こんなふうにウームと唸っているというのは、この世界がいかに未だ「オーソドックス」が確立していないか、ということかもしれない。


「サクソフォンにおける奏法の変遷と音楽」

まだ考案されて百六十数年しかたっていないこの楽器の歴史は残念ながら、いわゆる正しいとされる奏法が約10年単位で変化をもたらすような、過渡期としての未熟さを露呈する程度のものである。巨匠M.ミュールやD.デファイエが今の著名なコンクールのカーテン審査にエントリーしたとしても、予選落ちは明白である。奏法の変遷は、結果的に聴衆が感じ選択し淘汰されることではあるが、多くの材料が与えられる機会は稀である。また、コンクールで上位を占める優秀なサクソフォニストの奏法のみが、いわゆる正しい奏法であるとは断言できない。また審査の方向を鑑み、対策として己の感性に背くことがあるとすれば不誠実である。本来、聴衆は奏法を聴きに来るのではなく音楽を聴きに来るのであり、そこで表現者の奏法として重要な事はその音楽、そのフレーズを表現する材料として適切であるかという事であろう。むしろサクソフォンの魅力はそこにある。M.コンスタンの「サクソフォンは偉大なカメレオンである」という言葉の通り、個々の楽曲のそれぞれの部分で表現ができる奏法、音質、音色こそが、いわゆる正しい奏法であり、音楽家の技量である。

斎藤広樹

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