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2008.07.09

阪口先生のエッセイ(1961)

だいぶ前に、木下直人さんからご提供いただいた宮島基栄氏の昔(1962年)のレコード、というかソノシートの話をupしたことがありましたが(こちら)、それに付随して阪口新(さかぐち・あらた)先生が書かれた小エッセイが載っています。

阪口(坂口)先生(1910-1997)は、日本のクラシカル・サクソフォンの開祖と呼ばれる方ですが、生前そういう呼ばれ方をすると「僕より前にサックスを吹いていた人はたくさんいるんだよ」、というようなことを仰っていた記憶があります。
それは謙遜ではなく、本当にそうだったのでしょうね。
内容としては簡潔な文章ですが、阪口先生独特の文体や言葉づかいなども懐かしくまた楽しいので、こちらに転載してみることにしました。仮名遣いや漢字等、あるいは内容的に「?」な部分も極力原文どおりに写しています。
転載許可等は取っていませんが、まあ、もう時効でしょう。

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サックスという楽器 / 坂口新(東京芸術大学助教授)

 ベルギーのアドルフサクスと云う人がサクソフオンを発明したのは一八二〇年頃で、それ迄にアドルフが色々と工夫して作った楽器の中での最もよく出来たのがサクソフオンだ。
 現代の著名な作曲家ヒンデミットも彼の音楽書の中で『近代に作られた楽器の中での最高の傑作は、アルトサクソフォンだ』と述べている。
 管楽器は絃楽器にくらべて運動性はもちろん表現力においても非常に劣るもので特に木管楽器はオーケストラの中では色彩的な存在として扱はれている。所がサクソフォンは相当の機動性を持ち又他の木管楽器にはとうてい真似の出来ない強い表現力を持っている。ジャズに無くてはならぬ理由もその強烈な表現力の賜である。
 オーケストラの中に始めて(ママ)サクソフォンを使ったのはベルリオーズで一八二九年作曲のオラトリオに続いて一八三〇年『歌集』にも使った。次にカストネルのオペラ『ユダヤ最後の王』、ビゼーの『アルルの女』トーマのオペラ『ハムレット』ほかにマスネー、ダンデイ、シヤルパンテイエ等初期の頃はフランスの作曲家が多い。ロシアのグラズノフも一九二〇年代(ママ)にコンチエルトを書いているが此の時は名手ラッシャーのために書き下したものである。一九三五年ジャックイベールが発売したコンテイノ・デ・カメラ(ママ)、はサクスの長所を余すところなく縦横無尽に発揮したもので、すべての管楽器の協奏曲で、此の曲以上のものは当分出ないとさへ云はれている。それ程の曲であるから我々演奏者には頭の痛い難曲である。私が今から八年前、日比谷公会堂で東京フィルハーモニー交響楽団の伴奏で日本初演したが三ヶ月位前から練習していたがいくらやってもうまく出来ず演奏会の日が迫って来るし気は焦れど指は動かず遂にたまりかねて箱根の奥の人里離れた借別荘で一日八時間から十時間練習何んとか演奏会に間に合はすことが出来た。その間頭の中はイベールだけで何にを見ても食べても楽しくもうまくも無く放心状態だった。今年の毎日コンクールで此の曲を課題曲にした。幸い私の生徒*(芸大三年生)が第三位に入賞したが彼も私と同じ様なノイローゼ気味になっていたのを見ると私の場合は四十才過ぎ彼は末だ二十三才なので年のせいばかりとは云へぬことが立証された。
 私は昭和十年頃からサクスを勉強したので決してベテランではなく又古い方々の事も詳しくは知らない。サクスは軍楽隊に一番早く入っていた様だが民間で始めてサクスを始めたのは現在山口県宇部市で教へていられる前野耕造氏と伺っている。(大正十年頃) 日本にジャズが入って来たのは大正末期でそれも大阪からなので、プレヤーの方も関西の方が多かった。高見反祥氏、芦田満氏、作曲家の服部良一氏もその頃サクスを吹いておられた。東京の方で草分けは新野輝雄氏、紙恭輔氏、故仁木多喜雄氏などであらう。現在ビクターに居られるアダムコバチ氏も関西の方から来られた。氏は六十才を二三年前に越されたが今だに元気にサクスを吹いておられる。又マリアノ氏がフイリッピンから来られたのは昭和の初めで、前はよくコバチ氏と共にラヂオやステージに立たれた。私は学校をセロで出ていながらサクスに憧れたのはコバチ氏やマリアノ氏の美しい音に魅惑されたのが原因である。又その頃レコードにマルセルミュール氏の素晴しい独奏とサクス四重奏が売り出された。此れはそれ迄のサクスはアメリカ物などのたゞ甘いだけの幼稚なものと違って全く正統的なクラシックなものだったので益々サクスに対して本気に愛着を覚えた。支那事変の始まっていた昭和十四年、ある秋の日、旅先きの京都の喫茶店で思いがけないマルセルミュール氏のイベールを聞いた時には、あまりの素晴らしさにウナったことを、今でも思い出す。
 先日フランスのギャルドが来たのでそのサクスの連中と話したが殆んどミュール氏の御弟子さんだったので色々と参考になった。あちらでは十才位からサクスを勉強するそうで十八才位でもイベールをやれる位になっているさうだ。日本も近い将来必ずそうなると思いたい。

 ジャパン・ソノ・マガジン「魅惑のサックスソロ」(弘文堂) 昭和37年2月15日発行
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Thunder註:文中の「今年」とは昭和36年(1961年)。
* 塚本紘一郎氏のこと。

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サクソフォン」カテゴリの記事

コメント

「ギャルドが来たのでそのサクスの連中と話したが」

シビレますね!『サクス』カッコイイ。

残念ながらお話する機会はありませんでしたが、フェスティバルでヘロヘロになっても吹き続けるお姿を拝見した時は感動に涙しました;;

やはり「サクス」、ですよねえ。

実際の英語の発音だと、おそらく「サックス」より雰囲気が近いのでしょう。
明治生まれの方ならではのリアリティというか。

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