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2008.06.14

金曜日のトリフォニー

NJP, 080613新日本フィルハーモニー交響楽団 第431回定期演奏会(すみだトリフォニーホール)

ツィマーマン/1楽章の交響曲
ラヴェル/左手のためのピアノ協奏曲(Pf:舘野泉)
ヒンデミット/交響曲「画家マチス」
 指揮:クリスティアン・アルミンク

私は新日本フィルは土曜(トリフォニー第2日)の会員だけれど、さすがに明日は聴きに行けないので、振替えを初体験。
3階の最前列だった。

職場を出ようとしたその時に小さなトラブルが発覚、対応に追われ、やっと出たら電車も遅れていて、1曲めが聴けなかった(2曲めも本来の席ではなかった)。残念。
こゆことがあるから土曜の会員になってるんだけどね。土曜日は土曜日で、練習や(明日のように)本番と重なることは多いけれど、それは最初から覚悟はしているし、ある程度調整だって可能だし、少なくとも突発的に駄目になることは少ないから。

舘野さんのラヴェルの「左手」を聴いたのは初めてだ。
なにか、怒りに近いような、切迫した感情を秘めた音に聞こえた。
別に、表面的に怒ったような演奏をしている訳では全然ないのだけれど(舘野さん自身はむしろ、飄々と、無心に弾いているように見えたけれど)、30年近く前から実演でも録音でも何度となく聴いているはずの曲なのに、いままでに聞いたことのないような音を聞いたと思った。
不思議だ。何なんだろうか。それとも単なる私の錯覚?

この曲は、両手が使える普通のピアニストが弾く場合と、(これが書かれたそもそもの目的のごとく)左手しか使えないピアニストが弾く場合で、聴いて明らかに何か違うものを感じるのだとしたら?
演奏のせいというより、ラヴェルがそういうふうに仕掛けて書いたのだと思う。
何の根拠もない、現実離れした考えだけれど、そんなふうに思える。

ヒンデミットは、拍子抜けするほど端正で、古典的な演奏に聞こえた。
20世紀の音楽じゃないみたいだ。よく見ると編成だって完全に二管だし、ちょっと打楽器が多いくらいであとはベートーヴェンやシューベルトのオーケストラと変わらない。
独墺の人にとって、ヒンデミットってそういう存在なのかな?

いつものように、本日の出演者。

Member_080613

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コメント

どこで読んだか忘れましたが、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲は「親指で最高音を弾くという演奏上の特徴を逆手に取って」書いたものなのだそうです。左手しか操ることが許されないピアニストが気合一閃弾いた場合、違う音が出てくる、というのは十分あり得る話だと私も思います。

ご賛同ありがとうございます。

そうですか、純粋に技術的というか、書法的なことで、そんな仕掛けがあったのですね。

私が思ったのはもう少し文学的なことで、この曲は戦争で右手を失ったピアニストの依頼で書かれたんですよね?
ピアニストにとって片方の手を失うことがどれほどの絶望であることか。いっそ死んでしまったほうがマシだった、くらいのことは考えたことでしょう。
それでも左手一本で生きて行こうという根性と執念、そういう事態を引き起こす戦争というものへの怒りを、ラヴェルがその透徹した職人芸を以て音符に籠めたとしたら。

そういうものを真に引き出すことが出来るのは、脳溢血で半身不随になった舘野さんのような、「同じ宿命」に遭った人なのかもしれない、と。

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