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2008.05.25

プラネタリウム・コンサート

週末はいつものように青梅まで往復した後、デュオ・ルクレールを主宰する古い友人ひろみさんのコンサートへ。
王子の北とぴあ6Fのプラネタリウムを会場とした、映画音楽やスタンダードナンバーの曲目による、ある種「癒し系」(という言葉はあんまり好きじゃないが)コンサートだった。

思えば彼女とも古い付き合いで、21のときに知り合って以来まる25年経つんだから、お互い歳取ったものだ。

埼玉の尚美短大(当時)で開かれた吹奏楽の指導者講習会で知り合った時には、彼女は某K音大の教育科の学生で、このまま学校の先生になるのかなと思っていたら、卒業を待たずにあれよあれよとウィーンに渡ってしまい、かの地で学校を卒業してプロとして演奏活動を開始。ヨーロッパ中の国やロシアも廻ったらしい。
帰国してからは、とくに最近はこの狭い日本のサクソフォン界からは一線を画している(ように見える)ながらも、こうしてちゃんと自分たちのお客さんを確保して自分たち独自の演奏活動を続け、中高生の指導等でもきちんと実績を出していることには、率直に感心してしまう(9年前に私たちが福岡でアンサンブルコンテストの全国大会に出場したときには、中学の部で出場した栃木の教え子の付き添いで来ていて、現地で再会したのだった。異郷で知り合いに逢うのはとても嬉しいものだ)。

コンサート自体はそんなわけで、曲目とか批評じみたこととかはあまり関係ないものだった。
「音楽」を聴いたという感じ。「作品」、ではなく。
私たちは音楽について言葉で語る場合、えてして「音楽」そのものではなく単に「作品」、について語っている場合が多いように思う。いわゆる「音楽史」、という言葉は、「作品史」と呼んだほうが(特にベートーヴェン以降は)似つかわしいのではないか、という人もいるくらいで。
音楽は「作品」によって具体化される、というパラダイムを脱して、「音楽」そのものを語ったり演奏するというのは、特にわれわれクラシックの音楽家にとっては難しいことだけれど、それはとても果敢な挑戦だと思う。
(話は脱線するけれど、「音楽作品ではあるけれど、『音楽』を素材としては作られていない作品」というものも存在する。例えばケージの『4分33秒』のように。)

曲目といえば、あとからプログラム表を見ると聴いた記憶のない曲が何曲か入っている。どうやら眠っていたらしい(苦笑)。
しかもプラネタリウムなもので真っ暗なので、自分が眠っていたことにすら気がついていなかったようで(更に苦笑)。

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タイトルは大塚愛の歌のタイトルじゃなくって。 職場で、プラネタリウムの話題が出た。プラネタリウムへ最後に行ったのはいつか、というテーマだったが、ほとんどの人は大人になってからは行ってないと言っていた。私も、過去にプラネタリウムへ行ったのは小学生や中学生....... [続きを読む]

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