アリスカンより魂は嘆きて
土曜日。
午前、楽器(アルト)の調整に、新宿2丁目の行きつけの店へ。
具合の良し悪しに関係なく、ほぼ定期的に持って行っているんだけど、今回はどうやらメカニズムの狂いがかなり大きかったらしい(時間もかかったし、請求された料金もいつもより高かった)。
確かに、普段の時期に比べれば稼働量も吹いている音符の数(楽譜の難しさ)も多いのだから、当然といえば当然。
道具は正直だ。
その後、新桜台の1619というスタジオに移動、5月6日の本番のためのピアノ付きレッスン。
もともと初回のピアノ合わせを19日にするつもりで場所を探していたら、先生がこの日ここでレッスンをしていることが分かり、便乗させてもらったのだ。
ピアニストはいつものマダムMさん。毎年の夏の発表会では1995年からずっと弾いてもらっているけれど、去年はいろいろあってご一緒できなかったので、なんと今日は1年7ヶ月ぶりの対面。
それだけのブランクがあって、しかもまともな打ち合わせも無いままの初合わせを、いきなり先生に聞かれるという、かなり怖い状況。
5楽章の「あぶ」はさすがにシッチャカメッチャカになって崩壊(^^;。
10年以上前、ふたりでS々木雄二先生にクレストンのソナタをみていただいた機会があったんだけど、ボロボロになりつつ3楽章を吹き終わったら、開口一番、「あなたたち、仲悪いねえ、」と言われたことを思い出した。(^^;
だが他の楽章はなんとか持ちこたえた。
いきなり、一人でさらっている時には吹いたこともないようなすごい速さのテンポでイントロが始まって焦ったりしたけれど、かろうじてついて行く。(「あぶ」は除く。)
先生には「初めて合わせたにしては意外とまとも」と言われた。(しつこいようだが「あぶ」は除く。)
たまたま居合わせた、他の生徒さんの伴奏を弾くピアニストのH先生にも、有益なコメントをたくさん戴く。
3楽章「ジプシー女」のところで、先生に「ジプシーの女って見たことある?」と訊かれた。
先生はモンペリエ留学時代、家の近所でジプシーのおばさんをよく見かけたそうだ。
私は見たことがないしよく分からないので、とりあえず新橋辺りのホームレスのおばちゃんなどをイメージしてみるのだが、なんか違うような気もする。
先生のレッスンは、プロ奏者としての技術的、音楽的なサジェスチョンは勿論だけど、こういう何気ない言動の端々に出てくるヨーロッパの生活や空気のリアリティが、なんともいえず魅力的です。
4楽章のさわりを代わりに吹いてくださったりしたんだけど、ああいうシンプルでなんにもない、暗くはないけど明るくもない、虚ろできれいな吹き方って、どうしてもできない。
先生、4楽章については私の音色にかなり違和感をお持ちのようで、「音が明るすぎる、」「もっと輪郭の出すぎない音を、」と、3月の最初のレッスンの時から繰り返し言われている。
って言われても…うーむ。なかなか難しいです。
今回エントリの「アリスカンより魂は嘆きて」というのは、この曲(プロヴァンスの風景)の4楽章の楽章タイトル。
アリスカンというのは、南フランスのアルル地方に昔からある、要するに墓地なんだけど、日本の墓地のようにじめじめしていない。幅7-8mの、両側に樹が植わった並木道のようなもので、その樹の根元に墓石というか石棺が並んでいる。
以前、ゴッホが描いたアリスカンの絵というのを見たことがあって、それが印象に残っていた(その印象をもとに書いている)。
Wikipediaの「アリスカン」の項にも、ゴッホの絵が載っているけれど、私が覚えているのとはちょっと違う(ゴッホやゴーギャンには、アリスカンを描いた何種類かの作品があるらしい)。
こんなのもある。これはどこかの国の切手のデザイン。
空の色は暗めでデザインされているけれど、アリスカンという場所そのものはこんなふうに「鬱蒼と暗い」という雰囲気とはちょっと違うので、じゃあこのイメージを音楽的にどう表現していけばよいのか、悩ましいところ。
並木道の奥には古い教会があって、人々はそこに向かって歩いて行く。この楽章、なんとなく「歩いている」イメージがあるのは、そのためだろうと思う。
昔聴講したユージン・ルソーの公開レッスンで、この4楽章についてルソー氏が「この楽章は、明らかにガーシュウィンのプレリュード第2番の影響下に書かれている」と言っていたのを覚えている。
「3つのプレリュード」として出版されている(サクソフォン四重奏にも編曲されている)ピアノ曲の、2曲め。
要するに、「ブルース・マーチ」なんですね、アメリカ人的感覚で言うと。
楽譜の6番から先の大きな盛り上がりは、石棺に眠る死者が蘇った場面だ、というのは、別の機会に聞いた話だった。
でも、本当にゾンビのようにリアルに蘇った訳ではないと思う。たぶん、あくまでもイメージの中のもの。
石棺の間の道を歩いていた人が、突然背後に迫る何者かの予感に恐怖にかられ、でも振り返ることができず、恐怖感の頂点で叫び声を上げて駆け出す。落ち着くまで走ったところでやっとのことで立ち止まりおそるおそる振り向くと、そこはやはり何もないアリスカンの一角。みたいなね。
…
さて、これにてレッスンは終了。
あとは自分たちの責任でどうにかするしかない。
本番まであと2週間強。
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コメント
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プロヴァンスの中から1曲と言われると、
つい、このアリスカン~を吹きたくなります(汗)
ヴィブラートも嫌み無くでも、かかってないとつまらない、、、
頭を使う曲ですね。
投稿: さき | 2008.04.20 21:58
あ、その感覚わかります。
曲がいったんここで終わって、「あぶ」がアンコールみたいな気分で吹ければいいんですが、なかなかそうはいきません(苦笑)
投稿: Thunder | 2008.04.20 23:34
「あぶ」は~~~ぁ。。。
吹いてる間に100匹位
つぶしてそうですね(汗)
投稿: さき | 2008.04.21 00:20
第4曲のタイトルの訳ですが、嘆きという言葉はないと思いますよ。
私はプログラムには【魂の眠る古墳】と記載します。イメージは悲壮感などの劇的なものでなくメランコリック、ソリチュードだと思います。デファイエ先生はよくレッスンで年老いたときに若い頃を思い出し懐かしみ、今では自分は・・・。と残念がるイメージとおっしゃっていました。ちなみに私がパリ音楽院卒業コンクールで演奏した課題曲のひとつでした。
投稿: おとう | 2008.04.21 19:58
>おとう様
ご無沙汰しています。
貴重なコメント有難うございます。この訳題ですが、武藤、須川、田中、野原、フルモー(敬称略)といった方々のCDがみんなこれだったので、何も考えずに使いましたけど、言われてみれば意訳っぽいですね。
ちなみにファブリス・モレッティのCDでは「アリスカン、魂のささやき」になっていました。
「アルルのそこぬけに青い空」の下の、乾いたメランコリー。
どこまで表現できるものか、がんばります。
投稿: Thunder | 2008.04.22 01:13