小さなオーケストラ
都民芸術フェスティバル2008・室内楽シリーズ
ピアノ五重奏の夕べ(東京文化会館・小ホール)
フォーレ/ピアノ五重奏曲第2番Op.115
シューマン/ピアノ五重奏曲Op.44
横山幸雄Pf、矢部達哉・双紙正哉Vn、鈴木学Va、山本裕康Vc
6日に聴いた演奏会。
毎年この時期に開催される都民芸術フェスティバルといえば、私にとっては都内の8つのプロオーケストラの競演というイメージなんだけれど、実はそれ以外にもオペラもバレエも室内楽も、邦楽も現代演劇も寄席もあるという総合芸術祭なのである。
今年は初めて室内楽シリーズに足を運んでみた。
フォーレ晩年の名品、ピアノ五重奏曲第2番の稀少な実演というのは勿論だけれど、コンマスやべっちを始めとするわれらが都響の首席奏者陣+ピアノの横山さんによるこの顔ぶれを見たら、これは聴かずにはおれまい、という感じだ。
チェロの山本さんは神奈川フィルの首席だけれど、十何年か前には都響のトップを弾いていたこともある。当時の音楽監督の若杉さんが定期で「マタイ受難曲」をとりあげた際、通奏低音パートを最初から最後までひとりで弾きまくっていた勇姿は強く印象に残っている。
東京文化の小ホールはほぼ満席。日頃オーケストラの演奏会場でよく見かける(普通の室内楽のコンサートでは見ない)顔ぶれのお客さんも、多数。(面識はなくても、よく見る顔というのは判るものだ。たぶん向こうも私のことをそう思っているだろう)
フォーレは、この曲の(難解・幽玄という)イメージを覆すような、光り輝くように明るく清澄な音楽だった。いや、もしかしたら、実演に接する機会が少ないから知らなかっただけで、この曲は本来そういう音楽なのかもしれない。
自分が「音楽を聴く」、なんておこがましい、とさえ思ってしまった。音楽のほうが私たちを、どこか遠いところへと連れて行ってくれるのだ。なんてね。
休憩後のシューマンはより以上にこのメンバーの特色が出ていたと思う。まるでオーケストラだった。あたかもそれぞれの背後に、幻の何プルトもの弦楽器セクションを率いているかのような、ダイナミックで躍動的な演奏。
フィナーレのフーガの部分なんか、頭の中で勝手にオーケストラ編曲された状態で鳴っておりました(笑)。
面白かったなあ。普段親しんでいる「室内楽」とは趣は若干違うけれど、こういうのだって、あっていい。
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>チェロの山本さんは...十何年か前には都響のトップを弾いていたこともある。
ほう、そうだったですかぁ。
それにしてもおもしろかったなあ、この演奏会。Thunderさんの「小さなオーケストラ」って題が、正に言い得て妙。ホント、そんな感じ、「オーケストラ」って感じでした。
あのー、ひとつ質問があるのですが、彼らは前半と後半で楽器を替えてないですよねぇ? えへへ。そんなワケないんですが、そう質問したくなるくらい、音色や音量が違いました。楽曲や奏法でこんなに変わるとは...
ちなみに、鈴木学さんは翌7日のオーチャードホールでの都響シンフォニック・ポップスにも連チャンで参加、彼のソロもチラッとありましたです。
投稿: よねやま | 2008.03.08 01:46
楽器を替えているということは無いはずです。
音色というものはある意味、曲自体が要求するものですから、それぞれの曲に真摯に取り組めば、それぞれの曲ごとに違う音色になります。これは彼らのようなプロに限らず、私達のようなアマチュアであってもそうであるはずです。
ですからむしろ、どんな方向にでも行けるように、デフォルトの立ち位置というものはあんまり取っ替え引っ替えしないで1ヶ所に定めておく必要があるのではないか、とも思います。
投稿: Thunder | 2008.03.09 03:13