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2008.03.19

B→C

20080318東京オペラシティリサイタルシリーズ B→C(ビートゥーシー)第100回
サクソフォン:大石将紀(東京オペラシティ・リサイタルホール)

馬場紀子/エチュード-ビスビリャンドのための
B.ヴィヴァンコス/ムスティックス・エチュード-指の超絶技巧と循環呼吸によるエチュード
鈴木純明/スラップスティック-スラップタンギングによるエチュード
S.ローロフ/リット・リズム(以上「サクソフォンのためのエチュード集」第1巻&第2巻より)
酒井健治/リフレクティング・スペースII-バッハからケージまで(日本初演)
J.T.フェルドハウス/Grab It!
J.S.バッハ/ソナタ ホ短調BWV1034(Gt:フランソワ・ミシェル)
P.ルルー/緑なすところ-ジェラール・グリゼイへのオマージュ(MezSop:望月友美)
野平一郎/舵手の書(同)
藤倉大/SAKANA(委嘱作品・世界初演)

「バッハからコンテンポラリーへ」というテーマで、オペラシティの開館以来連綿と続いているユニークなリサイタル・シリーズ、BCG、じゃなかった、B→C。
記念すべき第100回は、彦坂さん、平野さんに続くB→C3人めのサクソフォン奏者の登場となった。

残念ながら仕事がドタバタで最初からは聴けず、着いたらちょうど酒井作品が始まったところだったのでグラビットは聴けるかなと思ったのだが、このときに限って11月のドラングルの時のように曲間なしで続けたようで、結局休憩まで入れず。エチュード集はなかなか面白かったらしいのだが。
はからずもバッハから聴くこととなった。

とてもパースナルな音楽だった。バッハはギター伴奏だったせいで一層そういう感じが際立つことになるが、おそらくそれだけではなく本質的なものだと思える。
「お客さん」という抽象的な群体を相手にして演奏している感じではなく、なんだかテーブルの向こうに座っている相手から直接話しかけられているような感覚が(アンコールのヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ第5番」のアリアに至るまで)ずっとあった。
演奏が終わったあと、拍手をするというのがなんだか妙に不自然なことに思えた。…あっ、そうか、拍手しなきゃいけないんだった、パチパチ。という感じ。そりゃそうだ、普通、人の話を聞き終わった後いちいち拍手なんかしないもの。

大石さんにとって、演奏とはおそらく「大勢の『お客さん』の前で、なにかを披露してご覧に入れる」みたいな拡散的で掴みどころのないものではなく、自分の周りにあって、目に見えたり見えなかったりするさまざまな関係性の間にある、きわめて具体的な、ひとつひとつはとても小さくてシンプルな行為なのだろうと思う。
こういう人が、たとえばバリバリのロマン派音楽などを演奏したとすると、どういうことになるのかな。

終演後はたまたま(という訳ではなくてかなり必然的)落ち合った仲間3人で、新宿モザイク通りの「パラドリーナ」にて歓談。
ワタシゃこんなお洒落な店は知らなかったです。ついてっただけ。解散は11時近く。

帰りは何をボーッとしていたのか、地下鉄の駅をひとつ前で間違えて降りてしまい(地下鉄のホームってどの駅も同じような感じだけれど、それにしてもなんで改札出るまで気がつかなかったのか)、また170円払って10分待って一駅だけ乗るのもシャクなので、そのまま歩いて帰った。
日付をまたぐちょっと前の時間帯の第二京浜国道は、歩行者なんか居やしない。思いのほかひろびろとした風景の中を、「舵手の書」の吉岡実の詩を反芻しつつ歩く。灰色に沈む夜明けの聖像群…。
夜は人を詩人にする。

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