春は雲カル
3月になった。
シューマンの交響曲第1番『春』の第1楽章のような1日だった。颯爽とした、しかしくすんだファンファーレから始まる、豪壮たる「春のはじめ」。日射しはやっと春の気配がし始めたけれど、まだまだ北風だって強いぞ、と。
雲井雅人サックス四重奏団(めぐろパーシモンホール・小ホール)
織田英子/東回りの風
D.マスランカ/レシテーション・ブック
星出尚志編/ゴスペル・メドレー
K.ワイル/「三文オペラ」より ポリーの歌、タンゴ
櫛田てつ之扶/「万葉」より
伊藤康英/琉球幻想曲
秋透編/こきりこ節~麦屋節
G.ガーシュウィン/「ポギーとベス」セレクション
200席ほどの会場は満席。
「音楽における『聖』と『俗』」がテーマとのこと。ホール側の主催公演(要は、依頼演奏である)ということで、比較的ライトなプログラム構成となっていたけれど、それでもありがちな「客受け」だけを考えたような選曲とは一味も二味も違う。
前から2列めの真ん中という、音が床を伝ってビリビリと足元に直接来るようなロケーションで聴く。
昨年5月の日本初演以来の「レシテーション・ブック」。やはり、すごい曲だ。
愛、祈り、沈思、逃避、韜晦、躍動、狂熱、…など、音楽全体を通してその音は人間の精神活動のほとんどすべての領域を経巡る。まるでマーラーだ(マスランカの「ソナタ」を聴いた時、これはマーラーの交響曲と似た世界だ、と思ったものだった。もしかしたらブログにも書いたかもしれない)。しかしただひとつ、「無関心」には決して陥らない。
「愛」の対極は「憎しみ」ではない。憎しみはむしろ愛の一変形だ。「愛」の反対にあるものは、「無関心」である。愛だけではない。人間の持つすべての主体的な感情の。
人間の感情のさまざまな様相を、描写するのではなく、そのまま音の世界として再生成するこのような音楽が、サクソフォン四重奏のレパートリーに加わったことを、嬉しく、また誇らしく思う。
2部もなにげにいかにも「雲カル」的選曲だったけれど、なんだか演奏者の顔つきが1部とは全然違ってリラックスしていたような気がしたのは、気のせいでしょうか(笑)。
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