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2007.12.10

日比谷公会堂の記憶

DSCH_2007日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007・最終日(日比谷公会堂)

ショスタコーヴィチ/交響曲第8番
同 /交響曲第15番
 新日本フィルハーモニー交響楽団
 指揮:井上道義

昨日のこと。
かつて日本における西洋音楽の殿堂だった日比谷公会堂(昭和4年開館)の再発見を期して企画されたという、井上道義プレゼンツ・ショスタコーヴィチ全曲演奏会の、フィナーレ。
チケット代は3000円均一とお手軽だし、新日本フィルだし、渡辺先生大活躍の予感もあり、行ってきました。

日比谷公会堂の大階段で、当日券を求めて行列に並ぶなんて、いったい何年ぶり(いや、何十年ぶり?)にしたことだろう。

Hibiya Public Hall

近年はクラシックのコンサートはほとんど開催されていなかったようだが、私たちがおそらく、日比谷公会堂をまともな音楽会場として認識していた、最後の世代だろうと思う。
高校生のときに一度舞台に乗ったことがあるし(東京の高校で吹奏楽や合唱をやっていた人間ならたぶんご存じの「中音」の会場だった)、日比谷高校のオーケストラや在京オケの名曲コンサートをはじめいくつかの演奏会を聴いた。
自衛隊系の音楽隊のコンサートではかなり最近まで使われていたんじゃないだろうか。1991年の「東京の夏」音楽祭で、陸海空三隊の中央音楽隊の競演という企画があって、日比谷公会堂で聴いた記憶がある。

忘れられないのは、第1回と第4回の日本管打楽器コンクールの本選・入賞者特別演奏会の会場だったことだ。
第1回の(サクソフォン部門)1位は須川さん、第4回は田中さん。
須川さんが森正指揮(!)の新日本フィルをバックにトマジのコンチェルトを吹いた1984年の秋、客席にはマルセル・ミュール(審査員として最初で最後の来日だった)の大きな後ろ姿があった。…

中に入ると、結構な盛況。さすが最終日。
薄暗いロビー、開閉のたびに「ガタン、バッターン」と派手な音のする古いドア、低い天井、急な階段。懐かしい。
人の動線というものを考慮していない設計のため、随所で人の流れがつかえて、「ゴッタガエシ感」120%増量、という感じ。
とはいっても、私が学生の頃までだったら、都内にもこういう雰囲気の演奏会場は、いくらでも残っていた。そんなに昔のこととは思えない。
ロシアやヨーロッパの普通の都市のホールだったら、今でもこんなもんなんじゃないか。

2階席に座る。
久しぶりに聴く、東京文化会館や埼玉会館をもっと剥き出しにしたような、異様なまでにリアルな音響が、ちょっと新鮮。
演奏もまた、何かちょっと普通じゃない緊迫感のあるものだった。特に前半の「8番」。
ショスタコーヴィチ独特の四角ばった音形が、いかにも意味ありげに寒々しく響く。ショスタコーヴィチのメッセージは音が綺麗すぎる最近のホールでは伝わりづらい、と井上ミッキーが言ったというのは、このことかな。
「8番」の終演後は、まるでコンサートが終わりかのように盛り上がった。

後半はショスタコーヴィチ最後の交響曲、15番。
開演前には、井上ミッキーと本プロジェクト実行委員長の黒柳徹子さん(父上はN響のコンマスで、いつもこの日比谷公会堂で弾いていた由)とが舞台に出てきて、少しくお喋りもあった。

「15番」は、実に不思議な曲だ。
親しみやすい外見の陰に、何が仕掛けてあるか分からないような。演奏も、かなり難しそう。
実は私にとっては、ショスタコーヴィチの交響曲の中では、有名な「5番」と同じくらい早くから親しんでいたものだったのだけれど(70年代、ビクターから出ていたメロディア原盤の廉価盤LPシリーズの中に、作曲者の子息マキシム・ショスタコーヴィチ指揮の「5番」と「15番」があって、ほぼ同じ頃に入手していたのだ)、ワーグナーの「運命の動機」の引用などは、さすがに当時は気がつかなかった。

コンマスは崔さん、15番2楽章の長大なチェロソロは花崎さん、同じくトロンボーンソロは宮下さん、8番のコーラングレソロは森さん。
ほか、Fl白尾、Ob古部、Hn吉永、Tp服部、といった、いつもの新日首席陣による万全の体制だった。
勿論、渡辺先生(Picc)も、ソリストのごとき大活躍。

かくして、無事終演。
渡辺先生が真っ先に立たされてました。(^^)
2階席でも、たくさんのお客さんが立ち上がって、井上ミッキーに拍手を浴びせる。オーケストラが解散した後も、止まらず。
私は今回1回だけの、いわば野次馬だけれど、それでもシリーズ完走のお祭り騒ぎに接することができて、面白い経験だった。


おまけ。
開演前に立ち寄った、日比谷公園の小音楽堂。
いわゆる日比谷野音(野外音楽堂)とは違う、公園の真ん中にある比較的小さなスペースである。

Hibiya_park_dome

警視庁や消防庁の音楽隊による昼のコンサートが開かれる、「街角の音楽」の原点のような場所。

個人的な話だけれど(以前にも書いたことがあるような気がするが)、1977年の秋(高校1年生だった)、ここでアカデミア・サクソフォン四重奏団による無料コンサートを聴いたことが、私がサクソフォン四重奏というものに触れた最初の経験だった。

爾来ちょうど30年。ここが、まさに今、素晴らしきアンサンブル人生の、スタート地点。
あの頃は30年後なんて想像もつかなかったけれど、経ってしまえば、結構あっと言う間だった。
まだまだ先もあるのが、嬉しい。

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コメント

>1977年の秋
ワタクシ、まだ5ちゃい(^^;)
遠くアルゼンチンから帰国した頃でしょうか。
そのころから音楽を、そしてサックスをずぅっと愛してきたんですね。
尊敬・・・

ふふ、尊敬、はやめてください(笑)。くすぐったいです。

そうですね。「ここ」からすべてが始まって、今、私は「ここ」にいる、と強く感じたものでした。

由緒ある公会堂と、大小2つの野外音楽堂を備えた、街と音楽とが交叉する地点であるこの日比谷公園という場所。
そのことはもっと見直されるべきなんじゃないか、というのが井上道義さんのメッセージなのかもしれない、と思いました。

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