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2007.11.18

伝統について(ある序章)

Schumann, Symphonies先日はじめて生で聴いて感激を新たにした、シュターツカペレ・ドレスデン。
久しぶりにCDを取り出して聴く。
サヴァリッシュ畢生の名盤、シューマン交響曲全集(EMI)より、第1番「春」。

1972年の録音。
同じオーケストラとはいえ、35年も前、「東ドイツ」「共産圏」などという言葉が現役だった時代だけに、さすがに音色は、先日聴いたものとはずいぶん違う朴訥としたものだし、EMIならではの残響過多でボケ気味の録音が余計、古めかしさを演出している。
だけど、渋ーい音で冒頭のファンファーレが始まってすぐ、弦を含む全奏が出てくる瞬間の、雲の切れ目からぱっと陽が射すような衝撃にも近い雰囲気は、このオーケストラならではの輝かしさだ。
これがこのオーケストラの「伝統」、なのか。
私にとってシューマンの交響曲の原イメージは、ほぼこの演奏と同一化している。

先日聴いたパリ管も、設立当初(1960年代末頃)の録音を聴くと、今とはずいぶん違う音色が聞こえてくる。
バソンが全部ファゴットに置き換わったのをはじめ、楽器だってかなり違うし、金管の音色は(70年代から80年代に音楽監督だったショルティとバレンボイムの主導だと思うが)相当にアメリカナイズされた。
実のところ私の本当に好きなパリ管は70年代までのものなのだけれど、それでも、うまく言葉で言えないながら、パリ管ならではの音色の「軽み」、このオーケストラでなければ味わえない独特の洗練というのが今なお「伝統」のようなものとしてあるからこそ、チケット高ぇーと文句言いながらも来日する度に聴き歩いている訳で。

「伝統」とは、古いものや昔のスタイルがそのまま残ったものだと思われがちだけれど、実はそういうものでもない。
伝統とはおそらく、外見がどんなに変わったとしても、あるいはすべてを変え尽くそうと意図して努力したとしても、なお変わらない部分にこそ、存在する。

…この後には、「伝統」というものについてのおそらく膨大な量の考察が続くことになるのだが、それはまた、いつの日か。

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コメント

興味深い視点ですね。

サクソフォーンの分野におけるフランスの伝統についてどうお考えなのか、Thunder様に伺ってみたい気が。

てれすこ様。

それこそが、後に続く「膨大な考察」のそのものなんですが(苦笑)。

ひとつだけ書いておきましょう。
今のフランスではマルセル・ミュールというのは過去のものになっているみたいですけれど、私はぜんぜんそうは思わないのです。
ヴィブラートの幅と速度は確かに前時代ですが、それ以外に関しては今とさほどの違いはないのではないかと。
少なくとも、よくありがちな口を緩めたアワアワアワみたいなヴィブラートでは絶対にないと思います(でなかったら、あの密度の濃い音色とタンギングの切れと音の立ち上がりの鮮やかさはありえないでしょう)。

音色についても、高次倍音がカットされてメロウな音に聞こえる昔の録音と、生の音とでは全然違うんじゃないでしょうか。生の音を聴く機会はもうありませんけれど。

現実に、クラシックのサックスには全く興味を示さない普通の現代のクラシックファンの方々が、ミュールだけは認めて聴き込んで、私のサイトにも情報収集にやってくる、という状況を私は何年間も見続けている訳です。

お尋ねの「サクソフォーンの分野におけるフランスの伝統」とは、そのような前提に基づいて考察されるべきだと思っています。

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