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2007.08.14

夏の思い出

というタイトルで、こんな文章を、5年前のちょうど今頃の季節に書いたことがある。
というか、もう5年も経ってしまったのか、ということが、ちょっと驚き。

http://homepage1.nifty.com/thunder-sax/diary208.htm

この文中の「K高」というのは勿論、今現在教えに通っているK高のことではありません。
自分自身の、「吹奏楽コンクール」、あるいは「吹奏楽」そのものに対するアンビバレントな心境の根源は、どうもこのあたりの記憶や体験にあるような気がする。

もし「K高」に行っていたら、どうなっていたかな。
人生には様々な局面で「もしも、あのとき…」という瞬間があるけれど、これはそんな中でも最も早い時期の、最も大きなものとなるような気がする。…

今となっては、D高に行って良かったと思う。
D高はきわめて刺激の少ない平穏な学校で、強制されること(やらなければならないこと)も何もなかったから、何をすべきかを自分で見つけなければならなかった。周りに比較すべきものがなかったから、自分自身を掘り下げるしかなかった。
そういったことごとがあまりにも遠回りであることに、当時は途方に暮れたものだったけれど、遠回りしている間に見ることのできたさまざまな風景は、間違いなく現在の自分の糧になっている。

ずっと後になって、とある音楽界の大先達の方にお会いしてお話をした時に、
「悔いの多い青春を送りなさい」
と言われて、なんのことだか分からず面食らったことがあった。
だけど言わんとするところは、今こそ、よく分かる。

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コメント

僕は、高校から吹奏楽を始め、それがD高だったので、いわゆる「吹奏楽コンクール」という文化には全く触れずに過ごしました。大学時代は吹奏楽ではなくオーケストラに入ったため、それこそ「吹奏楽コンクール」っていうのは他の惑星の話のような気分。それが、高校教師になり吹奏楽部の顧問となって、いきなりコンクールの現場に放り出された。中学から吹奏楽をやっている生徒は「コンクールで賞をとることこそこそ正しい道」と信じている子もいる。最近痛感するのは、顧問という大人の立場では、コンクールに出るためにガンバルのであっても、「一人一人が自立した音楽家として、キチンと音楽をする」ということを伝えるってことです。それこそ遠回りかも知れませんが、それしかないと思っています。
「悔いの多い青春」この言葉いいですね~。今度どこかで使わせてください。φ(..)メモメモ

↑のコメント、名前書くの忘れました。スイマセンm(__)m 
もちろんK高顧問です。

日本の吹奏楽というジャンルの問題点は、すべての考え方が「コンクール」と一体化してしまっていることだと思ってます。
「コンクールの功罪について」などという意見はこの業界内にもそれこそ掃いて捨てるほどあるんですが、そういう意見を言う人というのがそもそも全員「コンクール」にどっぷり浸かっている人間ばっかりなので、客観性というものが存在し得ないのです。

あくまでも「音楽」という大きな世界に身を置きながら、コンクールだって何だってとりあえず楽しんでみよう、楽しむからには少しでもいい演奏を目指そう、という、シンプルで健康的なスタンスを目指したいものです。
この世界では、それもある意味遠回りな行き方なんですが。

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