読売日響から手紙が届いていた。
7月に聴きに行く予定の演奏会の客演指揮者、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(読響名誉指揮者)が病気のためキャンセル、別の人に交代になったとのこと。
同じ文面が読響サイトにもupされているので、そのまま引用。
>(引用開始)
―指揮者交代のお知らせ―
7月の読売日響公演に出演を予定していました当団の名誉指揮者ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス氏が病気療養のため来日できなくなりました。
同氏に代わり、7月7日(土)《第91回東京芸術劇場マチネーシリーズ》はミハイル・アグレスト(Mikhail Agrest)氏が、また11日(水)《第141回東京芸術劇場名曲シリーズ》、12日(木)《第492回名曲シリーズ》、および17日(火)《第462 回定期演奏会》、19日(木)《名曲シリーズ・名古屋公演》はパオロ・カリニャーニ(Paolo Carignani)氏がそれぞれ指揮することが決まりましたので、ここに謹んでお知らせいたします。
なお、曲目、ソリストについて変更はありません。
2007年6月6日
財団法人 読売日本交響楽団
>(引用終了)
ふーむ。それは残念。
フリューベック・デ・ブルゴスといえば、スペインではそれこそ人間国宝級の巨匠ではないか。
60年代にEMIに録音したファリャの「三角帽子」や「恋は魔術師」、ソリアーノのピアノで入れた「スペインの庭の夜」などの演奏には昔から親しんでいたし、今でもそれらの曲の録音の決定版のひとつだろうと思う。
私としてははじめて実演を聴くのを楽しみにしていたところだが。
…ところで、上の告知の文章だが、1行抜けてません?
「楽しみにされていたお客様におかれましては、事情をご拝察の上、なにとぞご了承下さいますようお願い申し上げます」とかなんとか、普通は一言あるだろうと思うんですが。
また、このように公演内容に重大な変更があった場合、チケットの払戻しがあるのか無いのか、ということは客としての関心事のひとつなのだから、それについても書いておいて然るべきだと思う。…まあ、何も書いてないということは、無いんでしょうけど(多分、払い戻すという発想そのものが無いんでしょうね(^^;)。
そもそも上に引用の文面、フリューベック・デ・ブルゴスの指揮を楽しみにチケットを買ったお客さんへの心配りが全然感じられない、というか、「指揮者が交代したのは私たちのせいじゃないもんねー」、みたいな他人事じみた感覚を感じてしまうのは、ワタシの見方がひねくれているんだろうか?
これが例えば、スペイン産の最高級食材を使っていることを売りにしているレストランで、調達にトラブルがあってそのへんのスーパーで売っているような材料を使わざるを得なくなったような場合を考えてみるといい。
上のようなおことわりの言葉で、客は納得するだろうか?
…読売日響というオーケストラ、技量的には東京のプロオーケストラの中でもトップクラスだし、曲目も出演者もなかなか面白いし意欲的だし、聴けば聴いたで悪くない演奏をするんだけど、私としてはどうもいまひとつ好きになれないというのはそういう、客を何だと思っているんだ、みたいな(主に運営側の)態度が往々にしてこういう場面で典型的に見えてしまうことによる。
別に、「読売」と名のつくものが嫌いだから、という単純な理由ではない(と思う(^^;)。
楽員さんには責任はないことなので、申し訳ないんだけれど。
そういえば読響って、主催のコンサート会場(定期演奏会とか)でチケットを販売していないんだよね。
自前のコンサートの会場のロビーにブースを出して、翌日以降の自分たちの公演チケットを売るというのは、他のオーケストラだったらどこでもやっている。
そういう機会にチケットを買うことは、私の場合多い。チケットはやはりプレイガイド(ぴあ等)で探すより主催者から入手するほうがよい席が取れるし(ぴあで売り切れていても主催者のところにはいっぱい残っている場合も多い)、座席表を見ながらそのオケの職員の方から直接買う、というのは確実だし安心感がある。
そもそも、理屈でなく、コンサートでよい演奏を聴いて、もっと聴いてみたいと思ってそういう行動に出るというのは、自然なことではないか。
どうしてそういうことをしないのかな?いったい何の理由があってのことだろう?
全く判らない。
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