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2007.02.23

編曲ということ

17日の練習のあとも、深夜は相変わらず編曲作業続行中。
「真夏の夜の夢」の序曲に続き、「夜想曲」が既に8割方出来ているので、次の日曜の練習に間に合いそうだ。
月曜日から書き始めたのだから、自分で言うのも何だが驚異的なペースだと思う。

PCに向かってサクソフォンアンサンブルの音符を並べていると、幾らでも時間を費やすことができる(ちなみに、Sibelius2を使っている)。
晩ごはんを食べ終わってから作業を始め、全く休憩なしで気が付くと3時だ3時半だとなっていて、さすがに明日の仕事のことを考えると打ち切って寝ざるを得ないけれど、疲れている訳では全然ないので、その気があればまだまだ続けることだって出来る(こないだはそうやって朝の8時になってしまった訳だ)。仕事だったら絶対こうはいかないな。「寝食を忘れる」、とはこのことだ。

編曲という作業は、演奏という行為に似ている。人前でする演奏ではなくて、仕込み作業のほうに近いが。
私は管楽器吹きなので、大編成の合奏の中の一つの声部しか演奏できないけれど、楽譜を書いているとその制約を離れて、あたかもピアニストのようにすべての音符を自分の統率の下に演奏しているような気分になれる。
むかし東京でサクソフォンカルテットのチームを組んで活動していた頃、練習時によくピアノの小品を四重奏に書いて持参し、余り時間に初見で音出ししてみたりしたことがあった。三善晃の小品などが結構評判良かったようなおぼろな記憶が。
ただ自分としては、楽譜を書いた時点で満足してしまうので、実際の音にしたいという欲求はそんなに無かったように思う。

ラヴェルが自分のピアノ曲をたくさんオーケストラに編曲したというのも、絶対同じような動機だろうと思っている。
自分が作曲した作品といえども、書き上がれば自分の手を離れてしまう訳で、そういった作品を再び自分の下に呼び戻すために、「オーケストラ」という自分の最も得意とする楽器を使って、それらを再び自ら演奏(=編曲)しようとしたのではないか。
あ、勿論、ワタシ自身をラヴェルと比較しようなんて思っちゃおりませんが(^^;

それにしても「真夏の夜の夢」の夜想曲、なんといういい曲だろうか。
楽譜を読んで音を思い浮かべながら、あまりの美しさに泣けてきてしまうこともある。
魔法のように魅力的な旋律。音程の跳躍なんかほとんどない、順次進行だけで出来てるようなシンプルなメロディなんだけど。

ハンパな演奏は出来ませんぜ。

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コメント

私は編曲などとてもできないので、サックスアンサンブル用に様々な曲を編曲してくださる方々に畏敬の念を感じてしまします。なので想像しかできないのですが、きっと演奏するのとはまた違った楽しさがあるのでしょうね。次回の演奏会で聴けるのを楽しみにしています。

私がしているのは編曲といっても単なる「書き写し」に近いもので、いつぞやの「山の音楽家」みたいな再創造に近い編曲ができる人というのは、私も畏敬の念を覚えます。
要は、編曲には演奏としての編曲と作曲に近い編曲とがあって、私がするのは演奏としての方だ、ということなんですが。

「夜想曲」は最後の2割に至って呻吟しております。管と弦とが全く同じ音域でまるで別のことを始めたので、このまま書き写したらゴッチャゴチャになってしまうのは目に見えてるし。また終結部分はフランス音楽みたいな繊細きわまる世界なので、サックス11本などというガサツな(苦笑)編成でどう落し前をつけるか。
この先の2割は、今までの8割より苦労しそうです。

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