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2006.12.20

Tirasi061220東京都交響楽団 第637回定期演奏会(サントリーホール)

シュニトケ/ハイドン風モーツァルト(Moz-Art à la Haydn)
ショスタコーヴィチ/交響曲第8番
 指揮:ジェイムズ・デプリースト

なんだかとてつもなくすごいものを聴いたような記憶があるのだが、あれは現実のことだったんだろうか。そもそも、あのとき聴いた「音楽」の実体とはどこにあるのか。たとえ録音(が残っていたとして)を聴いたところで、あの瞬間に存在した(かもしれない)「音楽」はもう戻ってこないのだとしたら、それが夢まぼろしではないという明証はどこにあるのか。
都響のサイト中に、シュニトケ作品でのソリスト2名(矢部達哉、双紙正哉)によるこの曲の「解題」が載っているけれども、ひじょうに興味深い内容ではありながら所詮は「音楽をことばで語る」ということの虚しさを感じざるを得ない、という結論に落ち着くしかないのだった。

そういう種類の音楽であり、演奏だった。
今日はあまりつまらないことは書きたくない。

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コメント

開演20分も前にマエストロは指揮台に上がって、譜面をぱらぱらめくりつつ待機していました。いや、もしかしたらその時から既に指揮をしていたのかもしれません。いやいや、もっともっと前から、下手すると私が生まれる前から演奏は行なわれていたのかもしれません。やがて演奏家達は舞台に集まり、音を出して去って行きましたが、あれから丸二日経った今でも曲はまだ続いているのかもしれません。そんな感じの、実に不思議な曲でした、シュニトケ。

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