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2006年7月

2006.07.31

フルモーのCD

楽器を吹きまくった後の週明け月曜は、眠く明ける。
梅雨も明けたし。

そういえば先週末、中華街のお店で先生といろいろ喋っていたら、たまたまこのCDの話題になったのだった。

Cd107

協奏曲(グラズノフ)、コンチェルティーノ・ダ・カメラ(イベール)、コンチェルティーノ(リュエフ)ほか(Corelia)

フルモー(Jean-Yves Fourmeau, saxophone)のイベールとグラズノフ。リュエフは音源として貴重かも。バックはギャルド・レピュブリケーヌ弦楽オーケストラ。ギャルド(共和国親衛隊)には有名な吹奏楽団(Orchestre d'harmonie)のほかに弦楽オーケストラ(Orchestre à cordes)もあって、合わせて管弦楽団にもなるのだ。
先生は、フランス留学中にフルモーのレッスンを受けたときに、フルモー本人から「プレゼントだ」と言われて貰ったんだそうだ。その頃の生徒は皆貰ったらしい。
「要らないからレッスン代まけろ」という意見もあり(^^;

そういやオレ、このCD持ってたな、と思って、久々に聴き返してみた。
#あ、ワタシは貰うようなことはしてません。ちゃんとお金出して買ってます(笑)

フルモーの音は、軽い。軽やか。例えだけでなく実際に、あたかも星飛雄馬の球質のごとく(知ってる?)軽いので、1個1個の音がふわふわと勢い余って飛んでいく感じがする。なんだか実際の演奏よりもテンポが先走った感じになるのはそのせいだ。
といって、それが悪いわけでは全然ない。この「テンポが先走る感じ」というのは、フルモーよりもっと上の世代のフランスの演奏家のプレイにはしばしば見受けられるところで(デファイエなんか典型的にそう。興が乗るとどんどん走るランパルとか。先日聴いた安川加寿子さんもそういう傾向あり)、フルモーという人が若い世代と昔の世代のスタイルの折衷派のように見られるのはそのせいもあるのかしらん。
で、この演奏、そのテンポ感にオーケストラが付いて来れなくて、随所で微笑を誘う事態となっておりますね。
最後になぜかオーケストラだけでレスピーギの「古風な舞曲とアリア」第3組曲が入っているんだけど、これがまた「あらら」、って感じで(^^;

元々、「イベールのオケが巧い演奏(CD)って無いですよね、」という話の流れで話題に上ってきたCDなんで、まあ、致し方ない。
私としては勿論、80年代から90年代にかけて、ヤマハのセミナー等で間近に聴いて衝撃を受けた、フルモー氏その人への恩義は忘れておりません。

2006.07.29

中華街へ

この週末は、私たちのアンサンブルの強化練習日。
第1日午前は、四重奏チームでメンデルスゾーンのプレリュードとフーガ、午後はヴィヴァルディのピッコロ協奏曲。どちらもたいへん「厳格」な音楽で、疲れることこの上ない。
午後はアドバイザーの先生をお迎えして、演奏時間10分ちょっとの1曲に3時間びっしり使って、ご飯粒ひとつ残さないような徹底したチェックが入る。ふう。
自分たちだけでやっていたのではなかなか出来ない練習の仕方ではある。良い経験でした。
さて、明日も。

Chinatown

練習終了後は、先生をお連れして皆で練習場近所の横浜中華街へと繰り出す。
先生も、練習日程を打ち合わせた何ヶ月も前から、楽しみにされていたご様子。

以前にも行ったことがあったけれど、当団の横浜案内人Jくんおすすめの、メインストリートからちょっと外れたところにある目立たないお店だった。

Chinatown_060729

宴たけなわ。
しかし…皆さん、出来上がってますなあ(実寸写真をupするのはちょっとコワイので止めにしました(^^;)。

湯山昭の楽譜

きたる30日(日曜)、横浜にて湯山昭作曲『子供のための交響組曲』が演奏される
ブログ開設前から機会あるごとに話題にしている、私の25年来のコダワリの1曲(サクソフォンの見事な用法を含む)の、稀少な実演の機会なのに、練習とガチンコしていて、大変残念。
と思っていたら、今般この演奏会でサックスを吹くのが、日頃懇意にしている、アマチュアながら大変な名手である横浜在住のKさんだということが判り(世間は狭い)、ご好意により楽譜を見せていただくことができた。

Akira Yuyama

東京放送(TBS)のハンコ入りの、手書きの楽譜。
TBSはこの曲の委嘱元。間違いなくこれ、初演(レコーディング)時に使われた楽譜でしょう。

パートは「Clarinet」となっており、サクソフォンは持ち替え楽器として指定されている。
というか、楽譜のほとんどのはクラリネットで、目立つソロの箇所だけがサックス、という感じ。

Akira Yuyama

第3楽章冒頭部。
サックスへの持ち替え指示の箇所に、大きな丸印。
初演時、あるいは録音で、実際に一人の奏者(おそらくクラリネット奏者)が持ち替えて吹いていたという、貴重な証拠と思われる。

この曲のCDで聴けるサクソフォンは、いったい誰が吹いているんだろう、というのは昔からの疑問だったけれど(阪口先生あたりに訊けば何か分かるかも、と漠然と考えていたら、亡くなられてしまった。あれからもう9年近くが経つ)、おかげでなんとなくいくつかの推測が成り立つくらいまでは絞られてきたかも。

Kさん、ありがとうございました。

2006.07.26

東京文化会館のステージ上の子供たち

Tirasi060726第8回・都響とティーンズのためのジョイントコンサート(東京文化会館)

チャイコフスキー/「エフゲニー・オネーギン」より ポロネーズ
ビゼー/「カルメン」第1組曲(小・中学生+都響ジョイント)
チャイコフスキー/大序曲「1812年」(高校生+都響ジョイント)
レスピーギ/古風な舞曲とアリア第3組曲
グリーグ/「ペール・ギュント」組曲より
 指揮:現田茂夫

一般公募の小・中・高校生(のべ130人近く)が、都響メンバーによる演奏指導・レッスンを受けて、演奏会のステージに一緒に乗るという、毎年この季節恒例の、ワークショップ型のコンサート。

各オーケストラとも、未来の聴衆の獲得と啓蒙のために、単なる音楽教室にとどまらない様々な教育プログラムを考えて実践しているけれど、都響のこのやり方というのは、手間暇はかかるけれど最も効果的で、しかも傍で聴く一聴衆としても大変面白いものだと思う。
ジョイントの曲目では、弦楽器だったら外側プルト、管のソロ等を小・中・高生の子が担当し、都響の楽員さんはサポートに回る。コンマス席に中高生の女の子が座り、サイドに矢部達哉さんが座って譜めくりとかしている様は、なかなか感動的だ。
弦だったら半分近くのメンバーが子供たちということになるんだろうけど、それでもちゃんと都響っぽい音が出てくるのには、感心してしまう。弾き方が似るせいかな。管なども時々すごくよく吹く子もいるし。
あの年齢の頃から、これだけの「お手本」の方々に混じって弾く(吹く)というのは、素晴らしい経験だよなあ、と思う。ワタシの中学・高校時代を思い出せば、あの頃はいったいなーにをやってたんでしょーか、ってなもんで。
あの当時にこういう催しがあって参加してたら、ワタシゃ今頃プロになってたかも。
…あ、そうか、どーせサックスだから最初から縁はないけどさあ(チッ)。

休憩後は都響単独でのステージ。レスピーギさすが都響の弦、という貫祿の演奏だった。別に、「普通」のことをやってるだけなんだけどね。リハーサルだっておそらく1回とか2回とか、そんなもんだろうし。「プロフェッショナル」、ですなあ(感嘆)。

2006.07.25

久々、新日本フィル

Tirasi060724昨日のことですが。

フェスタ・サマーミューザKAWASAKI 2006
新日本フィルハーモニー交響楽団

R.シュトラウス/オーボエ協奏曲(Ob:古部賢一)
同 /交響詩『英雄の生涯』
 指揮:クリスティアン・アルミンク

ミューザ川崎のフェスティバル公演、実は初めて聴いた(毎年この時期は忙しいのだ)。というか、ミューザにコンサートを聴きに来ること自体がとても珍しい。そのくせステージに乗ったことはあるという。(来年も乗ることになりそうだ。)

お目当てはR.シュトラウスのオーボエ協奏曲。これは私にとっては本当に特別の1曲で、しかも古部さんのソロはちょうど10年前にカザルスホールで聴いた演奏が未だに忘れられないほど印象に残っているので、楽しみにしていた。
今日の演奏はちょっとホールが広すぎて(客入りもイマイチ良くなくて)音が散らばっていた感じもあったけれど、そのせいでこの曲の、人生最後の日の青い空、みたいな痛切な明るさがより見にしみて感じられたような気がしたか?
休憩後の「英雄の生涯」。編成が大きくなって豪奢なサウンド。だが音色はとても軽くて澱みがないので、気持ち良くなって「英雄の戦い」が終わった辺りからすっかり意識を失ってしまいました(^^;。
アンコールにヨハン・シュトラウス『酒・女・歌』。これまた軽やかで祝祭的、楽しかったです。

終演後は、音の輪仲間でもあり、次回の私たちのアンサンブルの演奏会にソリストとして出演をご快諾いただいている、フルートの渡辺先生を待って、今日何人か来場していた音の輪メンバーとともに、階下のエクセルシオールへ。閉店までの少しの時間、お茶をご一緒する。
楽屋雀の女性陣たちの会話が、楽し。


イープラスの得チケに、グラン・カナリア・フィル(廉価レーベルのArte NovaからたくさんCDを出している、スペインはラス=パルマスのオーケストラ)の東京公演が半額で出ていたので、8月3日の東京芸術劇場に急遽行くことにした。
ペペ・ロメロのギターで「ある貴紳」、ファリャの「スペインの庭の夜」(ピアノ:霧生トシ子)、それとラヴェルの「スペイン狂詩曲」に「ボレロ」が一晩で聴けるなんて、素晴らしいじゃないですか。

2006.07.23

ピアノ合わせ

昼間は、はるかサイタマの県央部へ。
8月7日の本番のためのピアノ合わせで、ピアニストのマダムのご自宅にお邪魔。
先週受けたレッスンが、先生自らピアノを弾いてくださってのものだったので、例年とは違い、合わせる前からこちらもピアノパートの勝手がよく分かっており、うまくポイントを掴めて練習が出来たと思う。
つうか、こちらからの注文がいつになく多いので、びっくりしたんじゃないかな(^^;。

夜7時半から、おさらい用に家の近所のスタジオを取ってあったので、間に合うように戻って、復習を少し。
今年の曲目は、指まわりがそれほど難しくない分、奏法と基礎の見直しに多くの時間と手間を割くことが出来ていて、良い傾向だ(例年は指さらいに追いまくられて終わってしまう)。

「伴奏」、という言葉は使わないようにしよう、と心がけて書いてみました(^_^)

2006.07.20

パイパーズ300号

Blogのテンプレートを変えてみた。
ココログのテンプレートは、いまいちしっくり来るものが見つからず、あれこれ試しているところ。
昨日までのは、配色は渋くて悪くなかったけれど、本文の通常行間隔と1行空きの時の間隔があまり差がなくて、見ての通り文章が長いので段落代わりの1行空きを多用する私としては、メリハリが付きにくくて不満だった。エントリ1個1個が枠囲みになっちゃうのもちょっとうるさい感じだし。

今適用しているデザインも、もう少しタイトル文字が大きい方が好みだし、そもそも本文領域とサイドバーがともに背景が同じ白つうのも、なんだか芸がないなあ。また変えるかも。


月刊誌「パイパーズ」通巻300号が届いた。
月刊で300号、ってことはちょうど25年。実は我が家には創刊号から全部揃ってます。(何度か投稿が採用されたことがあるし、3年前には取材を受けて顔写真入りで載ったこともある)
25年前の私は、まだ19歳(未成年!)の、大学2年生でした。いやはや。
時は、容赦がない。

Pipers_300

定期購読者向けに添付されていた、記念ポストカードの1枚。(撮影:雨宮秀也)

2006.07.19

サクソフォーン旋風

Tirasi060719ジェローム・ララン サクソフォンリサイタル「サクソフォーン旋風(Le tourbillon du saxophone)」(大泉学園・ゆめりあホール)

大村久美子/イマージュの錯綜
堰合聡/サクソフォーン(ソロ)(初演)
鈴木純明/アンチエンヌ(Sax:原博巳)
小櫻秀樹/俺は作曲家だ!(初演)
夏田昌和/西、あるいは秋の夕べの歌(Perc:山本晶子)
ピエール・ジョドロフスキ/混合(Mixtion)(日本初演)
湯浅譲二/私でなく、風が…
ヤコブ・テル・フェルドゥフィス/ひっつかまえろ!(Grabe It!)

全曲サクソフォンとライヴ・エレクトロニクス、あるいはそれに近い編成の作品ばかりという、一種恐ろしいコンサートを聴いてきた。
ジェローム・ララン Jérôme Laran。Mr.ビーンをずんぐりむっくり体型にしたような、一度見たら忘れがたい印象的な年齢不詳の風貌のフランス人。まだ若いんですが。
様々なタイプの「現代音楽」が博覧会のようにずらっと並ぶこの強烈なプログラム、開演7時、終演9時40分におよぶ長丁場を、子供みたいな純粋な好奇心と集中力を発揮して吹ききっていた。
なぜそんなに長い時間がかかったのかというと、曲間準備の特殊さ故。ステージ真ん前の客席にセットされた机の上には、音源ユニットとミキシング・コンソール、PCのモニタとキーボードが置かれ、曲間毎に音源、ミキサー等機材の調整、PAのセッティングが入る。舞台上と舞台袖と客席の間を忙しく人が出入りし、時間つなぎに突然作曲者や演奏者への即席インタビューが舞台上で始まったり、なんだか学園祭みたいなノリで進行するのだった。
職場から大泉学園は少々遠くて(何回電車乗り換えたことか)、客席で聴けたのは前半の最後の曲からだったけれど、充分お腹いっぱいでした。

それでも曲そのものは結構面白くて、最初に聴いた(前半最後の)曲こそ何か陳腐な感じがしたけれど(演奏自体は怖いほどの集中ぶりだった)、後半の曲はどれも言いたいことがわりと良く分かって退屈せず聴けた。とくに最後Grab It!の面白さは、これは聴かなきゃ絶対判らない類のものだろう。
「聴かなきゃ判らない面白さ」を現出する、というのは現代作曲家冥利に尽きることだと思うぞ。

今日はどちらかというと作曲家業界の催しで、客席にはサクソフォンの関係者はそんなにいなかったけれど、さすが、たまにいるサックス系の客は濃い顔ぶれが揃ってました(^^;。
ともあれ、希少な機会に臨席出来て、良かった。

知らなかった…

がーん。全日本吹奏楽連盟理事長、酒井正幸先生が、亡くなられていたんですね。
しかも、1ヶ月(ちょうど1ヶ月!)も前に。知らなかった!
さっき、ふと考えるところがあって「酒井正幸」でググってみた時、初めて知ったのだった。…お前なあ、いい加減気がつけよ、という、天の思し召しだったのかも。

かつて(今は学校合併によって無くなってしまった)豊島区立第十中学校吹奏楽部の顧問として、斯界に一時代を築いた方でした。
吹奏楽コンクールの都大会会場がそれまでの日比谷公会堂から普門館に移った最初の年(1977年)、初めて足を踏み入れた客席で聴いたショスタコーヴィチ「祝典序曲」の、なんと鮮烈だったことか。あんなに綺麗な冒頭のファンファーレの和音は、今に至るまで聴いたことがない。
遅まきながら、ご冥福をお祈りします。

追悼のつどいの案内はこちら

2006.07.17

都響スペシャル

Tirasi060717東京都交響楽団 特別演奏会(サントリーホール)

モーツァルト/交響曲第31番『パリ』
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番(Vn:庄司紗矢香)
ストラヴィンスキー/バレエ音楽『火の鳥』(1910年全曲版)
 指揮:大野和士

今日はいろいろと催しが重なっていたんだけど、発売日を待ち構えてチケットを買ったこちらの演奏会へ。
全席完売の盛況。大野さんが舞台に登場すると、それだけで「待ってましたっ!」とばかりの大喝采。期待通り、素晴らしいコンサートでした。曲が素晴らしくて、演奏者も素晴らしくて、勿論演奏自体も素晴らしく、何よりもコンサートという一期一会の出会いの高揚感がいつにも増して素晴らしい。間違いなく今年の都響で一番。
明日も同一内容でもう1回あって、そちらはまだ席があるらしいので、仕事が忙しくなければ当日券買ってでももう1回聴きたいくらいだが、そうはいかないだろうなあ。

安川加壽子のドビュッシー全集、CD発売

Cd106安川加寿子 ドビュッシー・ピアノ音楽全集

先日のコンサートの会場で入手したCD。
音楽之友社刊のドビュッシー・ピアノ曲全集(楽譜)の校訂を担当する等、日本におけるドビュッシーの権威であった安川加寿子の、録音による全集の、待望のCD復刻。

ビクターの発売ということになっているけれど、プライヴェート盤ぽい感じもある。こちらで入手可能のようだ(山野楽器のサイトだけど、アフィリエイトではありません)。

CD4枚、ざっと聴いてみたのだが、ちょっと驚き。これ、完全にネイティヴのフランス語の演奏だ。
ちょっと地味だけど軽やかでニュアンス豊かな響きの作り方、テンポの微妙な先走り具合など、20世紀初頭生まれの世代のフランスのピアニスト達の演奏と、驚くほどの共通性がある。
もし、ジャン・ドワイヤンやアニー・ダルコの未発売音源の復刻、と言われて聴かされたとしたら、私だったら何の疑問も持たずに信じるだろう。

初出は昭和50年1月とのこと。1970年代当時の日本で、これほどのドビュッシー全集が録音されていたとは…
平島正郎(こちらは、研究分野における日本のドビュッシーの最高権威)による全曲の詳細な作品解説をはじめ、当時のまま(おそらく)のライナーも貴重。
録音年月や会場が載っていないのが残念だけれど(歴史的録音の復刻にとっては重要な情報だと思うのだが)、この録音のCD復刻に尽力された方々に、感謝の意を表する次第。

2006.07.15

5年ぶりのレッスン

最高気温37℃に迫ろうかという好天が、午後1時頃にわかにかき曇り、豪雨・雷鳴・稲妻。

雨の上がった夕方、8月7日の発表会のための曲のレッスンを付けていただきに、新桜台の1619というスタジオにお邪魔してきた。
よく考えたら、ひとりで先生のところに足を運んでレッスンを受けるというのは、5年ぶりのことだった。そんなに空きましたか。

曲の仕上がりが芳しくないのはこれはもう致し方ないことで、覚悟はしていたんだけど、今回はそれより、音を出す前に息と舌をきちんと準備するとか、息の柱を真っ直ぐに作るとか、そういう、楽器で音を出す極基本的なレベルでかなりブレが出てきていることを指摘されて、かなりショックだった。
特に、最近自分でもうすうす気がついていたのだが、吹いているうちにだんだん顔(首)が前の方に出てきて、アンブシュアを前歯とマウスピースでなく下顎で支えるような状態になってしまうと、ピッチも上ずるし上記欠点もボロボロ出てくる結果になるようだ。
5年前までのレッスンでは(今日とは別の先生だけど)そんなことは言われたこともなかったので、帰りの道すがら、考え込んでしまいました。

思い当たる節としては、年月が経って背筋が衰えてきて、身体の正しい状態(気道の角度、首の位置、舌の位置)を確保できなくなってきていること。
そういえば仕事(PC作業)のし過ぎもあって、最近とみに姿勢悪くなってきてるし、今日だって慢性肩凝りで背中に湿布貼りまくってる訳だし。
歳を取ってヘタになる、とはこういうことか、と実感して、ちょっと怖くなった。

まあ、今気がついて良かった。これであと5年放ったらかしてたら、本当に取り返しがつかなくなってたかも。


帰りは少し歩いて、西武線の江古田に出る。
懐かしい街だ。15年くらい前に顔を出していたサックスのラージアンサンブル(とっくに消滅したけど)の本拠地がこの辺で、シーズンには毎週のように出没していたものだ。
練習で使っていた、駅前通りに面した銭湯の2階のホール(^^;も健在だった。

060715_ekodasta

駅の入口も変わってないですね。

『精霊の庭』-武満徹とサクソフォン

日本サクソフォーン協会会報「Saxophonist」18号が届いた。
どこかにワタシの写真が載ってます。(^o^)

管打楽器コンクール関連の興味深い記事や、ダニエル・ケンジー来日顛末記、シュトックハウゼン『友情に』の作曲者による解説の全訳(シュトックハウゼンという人はかなりに紙一重を超えている人物であるらしいということがよく判る;)とか、ワタシ的にはかなり面白く出来ている。
その中に、武満徹『ディスタンス』のソプラノサクソフォン版(原曲はオーボエ&笙のための作品)成立当時の事情に触れた、セルジュ・ベルトーキ氏(フランスのサクソフォン奏者、アミアン国立音楽院教授)へのインタビューがあった。
時は1990年。武満氏はソプラノサックスで演奏される『ディスタンス』に、「際立って好奇心をそそられ、即座に魅了された」という。

私がそれを読んで思い出したのは、武満の晩年のオーケストラ曲、『精霊の庭』(Spirit Garden)のことだった。
1994年夏のこの曲の初演を、私はたまたま会場で聴いていたのだが、オーケストラに(それまでの武満作品の編成には見たことのない)ソプラノ・サクソフォンが1本含まれていることに気付き、驚いたものだった。
この曲のサックスパートは、目立つようなソロは無いけれど、ほとんど常に木管群と一緒に動き、晩年の武満作品に特有の、半透明のエーテルのようなオーケストラの音色を演出することに大いに役立っているように思えた。

若き日の武満氏はかなりサックスが好きだったようで、いまは散逸してしまった劇伴音楽などでよくサックスを使っていたそうだ。Jazz好きだった武満氏自身の嗜好か、あるいはやはりサックス好きだった先輩の芥川也寸志氏(戦時中は陸軍軍楽隊でテナーサックスを吹いていたそうだ)あたりの影響か。…いつかのブログにも書いた記憶があるけれど、近代の日本の作曲家は不思議とサックス好きな方が多いのです。TV番組「題名のない音楽会」の中で「僕はサックスが大好きなんです、」と公言した黛敏郎氏あたりを筆頭に。

その後、年を経て「シリアスな」音楽の世界で名を上げて、それにつれてサクソフォンへの興味を封印してしまったように思えた武満氏に、再びサクソフォンという楽器に目を向けさせるきっかけとなったのが、件の『ディスタンス』だったのかもしれない。

『精霊の庭』の初演時の演奏会のプログラムは、以下のようなものだった。

飛騨古川国際音楽祭・東京特別公演
 1994年7月20日 サントリーホール

ビゼー/交響曲第1番ハ長調
武満徹/精霊の庭(飛騨古川国際音楽祭委嘱作品・世界初演)
ドビュッシー/歌劇『ペレアスとメリザンド』抜粋(第2幕第1場、第3幕第1場、第4幕第4場)
 若杉弘指揮 東京都交響楽団

このとき、ステージ上でソプラノサックスを吹いていたのが、旧知の新進サクソフォン奏者F君だったことも、印象に残る原因のひとつだった。彼は当時まだ音大を出たばかりだった頃と記憶している。
都響では、宗貞啓二氏がほとんど「常任サクソフォン・エキストラ」のような立場であるので、宗貞氏の高弟だったF君がこの時は乗っていたのだろう。この頃の都響の舞台で、他の機会にも何度か彼の姿を見かけている。

あれからもうすぐ12年。

Cd105

武満徹/ジェモー、夢窓、精霊の庭(DENON)

初演と前後して同じ指揮者・オーケストラで録音されたCD。たぶんこれにもF君が乗っているのだろう。

2006.07.13

安川加壽子記念会

Tirasi060712ココログのメンテナンス中に聴いたコンサート。

安川加寿子記念会・第7回演奏会(東京文化会館・小ホール)

フォーレ/マスクとベルガマスク(ピアノ4手版)
 徳田敏子、藤井ゆり(Pf)
ラヴェル/『夜のガスパール』より オンディーヌ、スカルボ
 鈴木貴彦(Pf)
ラヴェル/ヴァイオリンソナタ
 三輪真樹(Vn)、大西慶子(Pf)
プーランク/ピアノ、オーボエとファゴットのためのトリオ
 岡本愛子(Pf)、辻功(Ob)、多田逸左久(Fg)
ショパン/夜想曲op.37-2、舟歌op.60
 坂上博子(Pf)
ストラヴィンスキー(ピアノ独奏版)/『火の鳥』より 魔の踊り、子守歌、フィナーレ
 黒田亜樹(Pf)
ミヨー/スカラムーシュ
 沼田宏行、安田正昭(Pf)
ラヴェル/ラ・ヴァルス(2台ピアノ版)
 浜口奈々、多美智子(Pf)

18歳までフランスで育ち、40年以上にわたって東京芸術大学ピアノ科主任教授、のちに名誉教授の地位にあった安川加寿子こそ、日本の「ピアノの女王」の名に最もふさわしい存在だと思うけれど、残念ながら私が現在に至るコンサート聴き歩き生活を始める直前に引退されてしまったので、ついに実演に触れる機会はないままだった。
それでも、没後10年の今年も、こうやって様々な世代の多くのお弟子さん達が集まって、その名を称えるためにこんなに素敵なコンサートを企画し、聴かせてくれる。「人徳」、なんていう月並みな言葉ではとても表しきれないものがある。

東京文化会館小ホールがほぼ満席の盛況。ロビーには生前のリサイタルのポスター、ガラスケースに並んだ(終戦直後の頃からの)演奏会プログラム、国内外で授かった勲章の数々など、ゆかりの品々が展示されていた。
元々プーランクのトリオが聴きたくて目をつけていたコンサートだけど、聴き終わって印象に残ったのはその前後のラヴェルとショパン、そして最後の「ラ・ヴァルス」かな。ピアノ2台の「ラ・ヴァルス」の何とカッコイイこと。ほとんど格闘技の世界。

2006.07.09

恒例野外演奏

リサーチの小本番でした。
新宿新都心、三井ビル前の55ひろばというイベント広場。毎年恒例。いつも梅雨の真っ只中の季節で、雨天中止ということになっているのに、もう十何年も本番の時間だけは不思議と雨は降らず、中止になったことがない。今日も然り。

さすがに本番中は写真撮れないので、終演後のステージ。

060709

野外とはいっても、運動会のグラウンドなんかとは異なりそれなりに響きが返ってくるので(背後には55階建の巨大な反響板;があるくらいだし)、意外と吹き応えがある。
曲目はまあ、M8とかニューサウンズとかの軽いものばかりで、本番とは言っても比較的お気楽なものだけど、これが終わると1年が半分終わったって気になります。

2006.07.08

静岡で買ったCD

最近ココログの管理画面が重くて重くてどうしようもなくて、記事をupする気も失せるんですけど。
なんとかしてください。

Cd102シンフォニエッタ静岡絡みのCDをご紹介。
先日の定期公演のソリスト、フェルディナンド・シュタイナー(ザルツブルグ・モーツァルテウム管首席クラリネット奏者)のCD。

クラリネットのオリジナル曲では、ジョセフ・ホロヴィッツのソナティナ(初耳だが、実に良い曲だ)、ストラヴィンスキーの3つの小品、フランセの主題と変奏、ドビュッシーのプルミエ・ラプソディといったところから、「リゴレット」と「椿姫」のファンタジーというデモンストレーション・ピース、そしてC.Ph.E.バッハの旋律に基づいてウェーゼンアウアー(1966-)という人がフェルディナンドのために書いた、クラリネット、ドラムス、コントラバスというJazzトリオのためのFerdiggietto という小品も入っている。なかな盛り沢山な1枚。
甘くて軽い音色がオールマイティーな感じで(ジャズ吹いても違和感ないし)、なかなかいいです。
演奏会場では「ここでしか入手できません」という売り文句で販売していて、自主制作なのだろうか。よく売れていたようだ。
フェルディナンド、めちゃくちゃ気さくな人物で、私のことを中原さんから聞いていたのか、「どこのメーカーのサックスを使っているのか?」とか、いろいろ聞かれました(彼はサックスも吹く)。たしか明日あたりに帰国だと思ったけれど、CD無事売り切ったかしらん。

Cd103これも会場のロビーで購入。バソンのトップを吹いていた、日本バソン界の第一人者小山清氏のソロアルバム「フランス・バソン1」。(ALMコジマ録音)

Bassonという楽器にはドイツ式の「ファゴット」とフランス式の「バソン(バソン・フランセ)」という2種類がある、というのはかなりマニアックな知識の範疇だと思うけれど、例の「のだめ」にとり上げられたおかげで、思いがけず知られつつあるようだ。
バソンという楽器は、音の輪郭がファゴットほどクッキリと出ないところが私のようなサックス吹きにとって親近感を覚える原因かもしれない、と思ったことだった。
このアルバムは、ノエル・ギャロンとケックランのソナタで始まり、デュティーユとブートリーのオリジナルで終わるという、私が今まで持っていなかったのが不思議なような選曲。
テナーサックスで出来そうな曲も何曲かある。

Cd104新譜ではないけれど、モーツァルトの「グラン・パルティータ」の、私の最も好きな演奏。
ヘレヴェッヘ指揮、シャンゼリゼ管弦楽団メンバーによるCD。(Harmonia mundi)

実は「グラン・パルティータ」という曲は、長くてタルくて、私にとってかなり聴き通すのが辛い曲だったのだけど、この演奏はとにかく音が最初から最後まで生き生きしていて、全く退屈せずに聴くことができた。
ピリオド楽器によるオーケストラらしいけれど、ピリオドかモダンかというのは第一義的な問題ではない、ということがよく分かる(実際、あんまり「古楽器」という雰囲気の音ではない)。

セレナード第12番「ナハトムジーク」併録。(この曲のサクソフォン五重奏版というのがなにげにSax界の定番だったりする。)

2006.07.05

雲カル2006

Tirasi634雲井雅人サックス四重奏団 第5回定期演奏会・第一夜(ルーテル市ヶ谷センター)

ジャンジャン/四重奏曲
櫛田てつ(月+失)之扶/万葉
アプシル/ルーマニア民謡の主題による組曲
織田英子/サクソフォン四重奏のための『遠い日』(委嘱作品・初演)
秋透・編/3つの富山県民謡
アルベニス/カディス、コルドバ
ピエルネ/民謡風ロンドの主題による序奏と変奏

今までとは少々趣向を変えて、どこかしら「民謡」とか「民衆」というものにイメージがつながる親しみやすい曲を揃えてのステージ。だけどやっぱり雲井さん達は雲井さん達で、出てくる音楽は深くて、静的だ。
「お祭り」というものには、祭りだワッショイとそれこそ「お祭り騒ぎ」をしている一般民衆の参加者もいれば、礼拝堂や神殿の一番奥で祈りつつ沈思する方々というのもいる訳で、それぞれの人にはそれぞれのふさわしい居場所というものがあるらしい。
決して音楽が「重い」訳ではない。むしろ反対。とくに前半の曲たちで私自身にも覚えがあるような、1曲吹ききるごとにハァハァと肩で息するみたいな硬直した重さとは、全く無縁なのだけれど。
曲の最後が弱音で終わる箇所での、まるで風の音のような「ひゅーっ」というppの和音が、とても印象的だった。

アンコールの2曲め(アルベニスの「愛の歌」)に感激。ほとんど誰も演奏しないしCDも(多分)ないけれど、私は10年以上前に吹いたことがあって、大好きな曲だ。
最後は、いつものアレでした。アレを聞かないと雲カル聴いた気にならない、ということで。

2006.07.04

ハバネラのチラシ

ハバネラQ東京公演のチラシを入手したので、貼りつけておきましょう。
いやー、2002年秋の東京公演のアンコールを彷彿とさせますなあ。

Tirasi061104

ハバネラ、最近やたらと各方面で評判だし、CDもメジャーになってるしで、なんとなくもう聴いたような気になっている方も多いかとは思いますが、彼らは実演を聴いてナンボですから、特にコンサート未体験の方は、今回の来日は是非お聴き逃しのありませんように。
とりあえずまだチケットはあるらしい。

私自身は前回の公演を聴いた前と後では、音楽の捉え方や考え方(世界観、と言ってもいい)が根本的に変わった、と思っている。
今回はどんな「世界」を垣間見せてくれるんだろうか。

2006.07.02

静岡行き(2006夏)

この週末は、シンフォニエッタ静岡の定期を聴くために、泊まりがけで静岡へ往復してきた。
友人の指揮者中原朋哉氏のプロジェクト。「モーツァルト・オーケストラ静岡」の頃から通算して、(自分が演奏者として呼ばれて訪れたときも含めて)もう何度めの静岡行きだろうか。

グランシップでの本公演(第2回定期演奏会)と、翌日朝10時からの、今回のソリスト、フェルディナント・シュタイナー(ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団首席クラリネット奏者)による、入場無料の地元の公民館コンサートに行ってきた。
本公演は、モーツァルトのクラリネット協奏曲と、セレナード第10番『グラン・パルティータ』。5月の第1回のときより良い演奏だったんじゃないかな。バセットクラリネットを使用、バックは弦楽器各パート1人ずつという、なかなか新鮮な響きのする協奏曲。そして、弦楽器のない『グラン・パルティータ』は、吹奏楽出身者としての血が騒ぐところがあるんだろうか。ソリスト、シュタイナー氏も引き続き乗ったクラ群、客演の日本フィルファゴット奏者小山清氏がトップに座り、バソン(フランス式バスーン)2本という極めて珍しい布陣となったBasson群、そして、これまた客演の都響首席有馬氏が1番を吹いたホルン群など、聴きどころ多し。

翌朝は隣駅での公民館コンサートへ。

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朝、宿を取っていた焼津の駅で電車を待っていたら、首都圏ではもう見られなくなった湘南色の電車が。
思わず写真1枚。

公民館へ向かう町中には、懐かしい、野菜の無人販売スタンド。

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今日のコンサートは、隣の幼稚園の歓声やら役場の放送やらが容赦なく聞こえてくる公民館の普通の大部屋(会議室)での、備え付けのアップライトピアノによる伴奏なんだけど、内容はなかなか本格的。プログラムは以下の通り。

モーツァルト/クラリネット五重奏曲より1、2楽章(ピアノ伴奏)
シューベルト/アルペジョーネ・ソナタ
ヴェルディ/オペラ「椿姫」幻想曲
ミヨー/スカラムーシュ
ベニー・グッドマン/名曲集

東京でコンサートを聴き歩く生活をしていると、地方での音楽文化の享受という状況はなかなか実感できないものがあるけれど、年に何度かの静岡行きはそういうものを実地で理解するよい機会だ。
この手の本番を、「ドサ回り」などと呼んでしまうのは簡単だけど、所詮は、東京だって、ひとつの大きな「地方」に過ぎないんだよな、とも最近は思う。
それにしても、コンチェルトの本番の翌朝10時の町の公民館などという場で、ニコニコしながら、本格的なコンサートホールと同じく最高級の技を聴かせるソリスト氏には、感服。


余談です。
夕方、東京に戻ってから、あるプロオーケストラの定期公演を聴いたんだけど。
正直、かなりに腹立たしい思いがしたので、詳細は書かないことにした。
演奏がどう、というんじゃなくて、そこで演奏された作品(現代音楽ばかり4曲)、及びそのような作品で構成されたコンサートというものの、精神的、社会的なありように、大きな疑問を抱いたのだった。
別にオレは、現代音楽だから聴く耳持たない、みたいな偏狭な人間ではないつもりだけど、それにしてもコレはないでしょう、と。
このコンサートのプレトークの時に指揮者が、「聴衆の間には現代音楽について、難しいとか、作曲家が何を言いたいのか分からない、馬鹿にされているように思う、などといろいろな誤解がある」と述べていたけれど、それはある意味、誤解ではなくて核心を衝いた真実なのではないか(たとえ誤解だとしても、そのような誤解を招いてしまうのは無理もないのではないか)、という気がする。

ソリストは熱演だったんだけどねえ。(つうか、元々ソリスト目当てで行ったようなもの)

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